2 AV女優・南。
 
「ウソ………!鹿島…和馬?!ホンモノ?!」
「誰だてめーは」
「キャー!!スゴイ!本物なんだ?!」
興奮を隠し切れない南は、目の前で自分を見下ろしニコリともしないロングヘアの、黒ずくめの男から、無理矢理右手を奪い取ると握手した。
背後で、コウと社がゴクリと喉を上下させる。
「何者だよ…めちゃ可愛いじゃんか」
「うん…たまらなく可愛い」
プロダクション事務所の出入口付近で、一人ハイテンションな南は、軽快な人なつこい笑顔で、大きく最敬礼した。
「初めまして!あたし、ユキの姉兼、保護者です。志賀南といいます。よろしく」
「姉…。保護者って、…けどお前、いくつだ?」
無理に握手された腕を取り戻し、立ちはだかったまま、和馬はまだいぶかし気に南を凝視していた。
それにはさすがに、南も少したじろいだ。腕を組んで自分を見下ろす男に言う。
「…17です。でもあたし達、両親が居ないので───…これから、ユキの事はあたしを通して下さい」
「17ァ?!高校生のガキじゃねーか」
「まぁまぁ」
二人の間に割って入ったのは、マネージャーの黒川だった。
「じゃあ、僕と話ししよう。どうぞ奥へ。志賀さん」
和馬と南のやりとりを、出入口の通路で見ていたユキも、南に上着の袖を引っ張られて、付いて入る。
「…何なんだ?!ありゃあ。」
 
「今後、利権の問題───著作権とか印税の事とか、絡んでくるので、少し確認させてもらいますよ。」
隣りの部屋でソファに腰掛け、向かい合った黒川が、改めて名刺を二人の前に差し出した。
「志賀雪彦さん。16歳で───中卒、現在は工場勤務。ご両親は亡くなられて、孤児院、いや施設───赤城学園の志賀学園長が現在の保護者というか後見人という事で───…。間違いないですか」
ユキは、はいと小さくうなずいた。
隣りに座る南が、「仕事とか、お金に関する事はあたしを通して下さい」と付け加える。
「君は………、」
「志賀南といいます。ユキの姉です。ユキのマネージャーってとこかな」
黒川は脚を組み、少し苦笑した。
「マネージャーか…。僕も今日から彼の担当です、よろしく」
 
「なぁ、おいお前。どっかで見たよーな気もするけど…会ったこと、ないか?」
書面での契約を済ませ、引き上げようとする南の肩を、和馬が掴み、引き止めた。
「会ったこと、あるかも。でも直接会うのは、今日が初めて。」
「?!」
南は和馬の目を覗き込むように見上げると、極上の微笑みを見せた。
「あたしも、何度もTVでラフレアのこと、観てたから」
「!」
ドキリとするような美しい瞳に、和馬は一瞬引き込まれた。
「じゃあ」
「待てよ、」
出て行こうとする小柄な後ろ姿と、後に続く頼りな気な少年を、彼は再び呼び止める。
「…これから、可能な限り毎日、オレんとこに来い。」
「……………」
少年はマネキンのように、無言だったけれど、微かに眉を寄せた。
「何?どういう事?」
無邪気に、長いまつ毛の少女が尋ねた。彼女の長い髪が揺れた。───その表情に、やはり和馬は彼女をどこかで知っている、と思った。
「親睦を深めるんだよ。このままじゃ───…こいつずっとマネキンだろ」
 
「オレ、ようやっと思い出した」
年末押し迫る東京で。高層マンションの一室を訪れた南とユキを見るなり、和馬はいきなりそう告げた。
「…昨日オレ、レンタルビデオのショップ行ったんだけどよ、」
目の前に人差し指を突きつけられて。南は少し口の端を上げ、微笑んでみせた。
「─────シガミナミ。あった、AV」
…今日の南は、腰ほどもある長い髪を束ねて三つ編みにしていた。太い毛糸で編まれた、ピンクとオレンジのストライプ柄キャップを被り、大きな輪っかを耳に飾っている。
ベロアの70’sテイストな茶のチュニックに、ボトムは派手でサイケな花柄のフレアパンツ姿で。
「…そんな格好だから、全っ然判んなかったよ─────アクビちゃん」
「…アクビ?」
「知らないか?ハクション大魔王の。」
「!」
和馬は声を立てて笑っていた。
「そう、その大きくて立った耳!間違いない、志賀南だ」
「───…ねぇ、上がってもいい?寒いんだけど」
あぁ、入れよ、と。二人を奥へ通しながらも、まだ和馬は笑い声を立てていた。
 
「お前、女優だなぁ」
「…それ、褒めてる?ちゃんと」
「褒めてる褒めてる!だって本人、全然違うじゃん、ビデオのキャラと!」
黒い革張りのソファは大きくて、小柄な南は余計に小さく見えた。隣りに、白いセーターにいつものキャメル色したダッフルコートを着たユキが座る。
「コート脱げって。ゆっくりしてけよ、まぁ。」
和馬がユキのコートを指差し、そう言った。
命令するようなその口調に、言われたままユキはその場で立ち上がり、身に付けていたコートを脱いだ。中に身に付けた白は、彼にとても似合っていた。
「ビデオのあたしと本物と、どっちがいい?」
人見知りを知らない南は、有名人を前にしても、臆する様子は全く見せない。
「そりゃセーラー服の大人しい純情派より、───今、目の前に居るお前のがオレは断然好みだぜ?」
「そう?よかった!」
ユキは二人の会話に割り込む事もなく、終始無言で座っていた。
「…いつもこんなしゃべらないのか?こいつは」
「こいつ?!弟のこと、そんな風に呼ばないでよ。…慣れたらもう少し話すようになると思う。あたしと居る時は話してるから」
「ふーん…。まぁ、このままマネキン人形のままじゃ、オレも困るしなぁ。せっかくのサンタさんからの贈り物だ」
「サンタさん?!…サンタさんは貴方だよ。あたし達にチャンスをくれた───…サンタ和馬さん。あたしはそう思ってる。」
和馬はソファにもたれて微笑んだ。
「オレは───オレ達は新メンバーのラフレアで、今まで以上の成功を収めたいと本気で思ってる。お互いに、笑い合おうぜ、来年。」
 
「…血は繋がってないです、オレと南は。」
それから毎日のように、ユキは和馬の自宅へ、言われた通り顔を出した。
正月の間は工場も休みになり、ユキは夜勤に出ずに済んだ。
「じゃあ、何で姉弟なんだよ?」
ビールの飲めないユキは、代わりに自ら煎れさせられたコーヒーのマグを片手に持って。
伏せ目がちながらも、ポツリポツリと、返事をするようになっていた。
広いリビングに二人きり、和馬はカウチソファに行儀悪く寝そべっている。Tシャツ一枚で過ごせるほど、室内はエアコンが効いていた。
「…オレ達、同じ日に捨てられてたんです。…南は、学園の門の前に。───オレは、地下鉄の駅に。」
「……………」
肘枕で、バド缶を手にしていた和馬は、その視線を向かい合ったユキに向けた。
長いスパイラルの髪は、後ろで束ねられている。
「…その、そういう境遇の奴って、多いの?」
訊きにくそうに、和馬は手にしていた飲みかけの缶をそっとテーブルの上に乗せた。
「───いえ、孤児院って言っても、ほとんどは親の居る子供が、何らかの事情で預けられている託児所のような処で───…。オレ達みたいに、身元や親の消息さえ判らないのは、ほんの一握りです。」
「ふぅん…。だから、姉弟ってことになったのか」
「いえ、そういう事でも───…。ただ、後見人の園長の名を貰って、同じ苗字を名乗ってるだけで」
「ホントの親の事、何も分からないのか?」
和馬の問いに、ユキの瞳はほんの少し、寂しげな色に揺れた。
「───南は、写真と手紙持ってて、オレは…身に付けてたのは、自分の名前の書かれたお守りだけだった」
「……………もっと聞かせろ」
「…お正月が一番嫌な時期だった、みんな親が迎えに来て───この時期だけは家で過ごすんだ。…オレと南だけは、いつも学園に残ってた。園長先生の実家で過ごさせてもらったり───…。」
和馬は上体を起こすと、ラッキーストライクの箱から一本、タバコを取り出し火をつけた。
「ともかくオレは───…お前がここまでオレに気を許してくれて、しゃべってくれるようになったのが嬉しいよ」
その言葉には、ユキも顔を上げた。
「正月のあいだ、ずっとここに居ればいい。もちろん、アクビの奴も。────それからな、」
もうそろそろ敬語やめろ、と。和馬は付け足した。
 
「おはよう…」
肌寒さに、布団の上掛けを肩までずり上げて首をすくませ、南は少し身じろいだ。
6畳一間の、黄ばんだタタミが敷かれたこの古びたアパートは、つい最近、「気楽荘」という名から「カントリーハウス」に変わった。けれど木造二階建ての築40年には違いなく、アルミサッシも入っていない窓からは、すきま風が水鉄砲のように時折身体を直撃して来る。
二人は狭い部屋に、スチールの脚が折りたたみ式になったプラスチックの茶ぶ台を隅の壁にいちいち立て掛け、それから布団を二組並べて敷かなければならなかった。
「オレ、久しぶりに夢を見たよ」
ユキは伸びすぎた身体を布団の中で少し折りたたみ、隣りの南を見た。
「…どんな?」
「昔の夢───…。小学校の時の」
「うん」
南はポツリポツリと話すユキを、いつも決してせかしたりせず、じっと次の言葉を待っていた。
「オレがいじめられてて───…それを南が、リコーダー振り回して助けてくれるんだけど、」
「うん」
冬の朝はまだ薄暗く、室内はぼんやりと暗かった。
「なぜか、途中で入れ替わってた」
「……………え?」
「オレがいじめられてる南を───助けてた」
言って、ユキは微かに微笑んだ。
「───…そうよ、ユキはホントは強いもん」
南はトレーナー姿の上半身を起こし、意を決したように布団をたたみ始めた。
「あたしの弟なんだから!弱いはずないよ!」
白い歯を見せてそう言い、微笑って見せると、ユキはまだ布団に丸まったまま、嬉しそうに目を細めた。
「…ユキ、今日はどうする?初詣、行く?」食糧、買わなきゃ何もないよ、と。
共同の洗面で長い髪を束ね、洗顔する南の隣りに、ようやく起き出したパジャマ姿のユキが並んで立ち、歯ブラシにチューブをひねった。
お正月。外はいつもの、車の排気音や喧騒もなく、ここの住民さえ里帰りしているようで、まるで長期休暇中の校舎のようにアパート内は静かだった。
トントン、と通路脇の階段から小さな足音が降りて来て、洗面台に顔を見せたのは、2階に住む白髪のおばあさんだった。
「あら、明けましておめでとう、南ちゃん、ユキちゃん。」
南よりも更に背が小さくて、丸い顔をしわくちゃにしたおばあさんは、とても柔らかに微笑う。
ここの住民は、決して二人の事を快く思わない者も多いけれど、この人だけは特別だった。
「ねぇ、田舎から、おみかん送ってきたのよ。食べきれないから、後で取りにいらっしゃい」
おばあさんは、ユキの背中をさするように撫でた。
 
「…和馬が、正月中いつでも来いって言ってた」
初詣に出掛けた道すがら、ユキはそう告げた。
「…ユキ、あの人のこと、怖がってたんじゃないの?」
白く曇った冬空の下、今にも雪が降り出しそうな中を、二人は公園を横切り、散歩するように歩いた。
「─────あの人、いい人だよ。」
「もう怖くなくなった?」
「…うん。他の人達も───…きっと、いい人だと思う」
「そっか…。あたし達のサンタだもんね。」
コンビニに立ち寄ったけれど、食料品はすでにほとんど売り切れていて。二人は和馬のマンションまで、電車に乗った。
 
「おーアクビ、久しぶりじゃん」
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」
「…誰も呼んでね、っつうの」
和馬は快く扉を開け、二人を中へ迎え入れてくれた。
「…腹減ってさっき目ぇ覚めたところ。お前らは?」
「朝から何も食べてない」
「─────ピザ取るか」
和馬は黒いTシャツにカーキのコットンパンツ姿で、長い髪をガシガシと掻いた。
そして電話の子機を、いきなりユキに向かって放り投げる。
「───オーダーしろ。ホラ、これ」
宅配ピザのチラシも渡し、オーダーメニューを指示した。
「お前はな、もっと人に慣れろ。練習だ、練習。」
うろたえながらも、ピザショップにダイヤルするユキをよそに、南は「わーい!ピザ初めて!」とはしゃいでいた。
「オレは毎日ピザでウンザリ。正月までピザだ、今にオレの身体、ピザになっちまう」
「サンタ、オヤジっぽい事言うね」
いたずら気な瞳で頬杖を付き、和馬を見上げてくる南に、
「サンタ言うな、それにオレまだ19だ、来年成人式の身だぜ?!」と露骨に眉を上げてみせる。
「じゃあアクビもやめてよ、オジサン。」
「…お前、その胸ホンモノ?シリコンじゃねーの」
「あ!そんな事言って触る気でしょ?ヤダー、オジサンみたいだ、やっぱり」
大声で盛り上がる二人のそばで。ユキが困ったように蚊の鳴くような声でそれを遮った。
「あの………、」
「何だよ?!」
睨みつける和馬に。
「ここの住所───…判らなくて…、」おそるおそる、ユキが話し中の子機を差し出した。
 
「社とコウはオレより一つ下だよ。来年、19。」
「どうやって知り合ったの?」
「元々は幼なじみのオレと社が中学ん時にバンド始めて───…。けどオレは絶対プロになりたかったから、そん時のベースとボーカルはクビにした」
「クビって偉そうだね」
「オレはいつでもオレが一番偉くないとヤなんだよ」
開き直ったように、和馬がソファにもたれる。
「その後、プロダクションが前のボーカルと、ベースのコウを連れて来た。…オレ達は売れるために造られたバンドだ」
「───…ふーん…」
自分のよく知らない世界の事で。南は、中学の頃の付いていけなかった数学の授業の時間を思い出しながら、黙って聞いていた。
「ラフレアは確かに売れたけど…、オレは満足してない」
いつの間にか和馬の強い瞳には、真剣さを帯びた色合いが混ざっていた。
「売れてナンボ、なんだよ結局」
彼の精悍な顔つきには、鷹のような鋭さを持つ印象深い瞳がよく似合っていた。
その野生の肉食獣の視線が、ユキを捉える。
「お前も有名になりたいんだろ。─────だったら、」死ぬ気でやれ、と。
告げられた声は、黒い鋼のようにギラついていた。その言葉に思わずユキは息を飲む。
「…死ぬ気で変われよ、今日から。───マネキン」
 
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