夜8時を回り、やる事も無しに2人は、アパートの部屋で白いビニールクロス張りの壁にもたれ、TVを見ていた。歌番組。 デビュー後まもなくいきなりブレイクして、僅か一年足らずのバンドが出演している。今夜はそのグループの特集らしく、インタビューのコーナーと数曲のライブ演奏とで、内容は構成されている。 メンバーの、まだ2人と同世代の若い男性4人のカオが、画面に映し出されている。 「あ、オレ、こいつら知ってる」 「───…え?!」 「中学ん時、道でケンカした」 「えぇ?!」 「…何だよ、何でこんなんでメジャーデビューしてんだ?! オレ、去年こいつらまだインディーズの時のライブも観たけど、全ッ然大した事なかったぞ」 「スゴイ! ホントに観たの?! ナマで?!」 身を乗り出し、瞳を輝かせるさくらに対して、みずほはさして面白くもなさそうに、2つ目のアイスクリームのカップを開けていた。 「何だよ、さくら知らねーのか? このギターとドラムの奴、隣りの中学だったんだぜ、オレ達の」 「ウソ!!」 じゃあ、道ですれ違った事とかもあるかも?!と、はしゃぎ出すさくらに、みずほはますます面白くない、と言った表情を返す。 「近くで見ると、そう大した事ねーって。オレのほうがずっとイケてる」 「……………」 「ギターだって、オレのほうが速弾きだし」 「えーっ! 武原くんギター弾けるんだ?!」 「何なんだよ、このボーカル。全然イケてねぇっつうの。オレのが数段歌も上手いし、ルックスも上だ。………な? そう思うだろ?」 「─────………」 ムッとしたように眉を僅かにしかめ、さくらのほうを見るみずほに、彼女は内心小さく吹き出していた。 彼は嫉妬しているようにしか見えない。それも幼い子供みたい。絶対に口には出せないけど、ちょっと可愛いかも。 「………ケンカしたって、どこで?」 さくらは緩みかけてしまう頬を引き締める努力をしながら、真剣な表情を造ってみずほに訊ねた。 「だから、道の真ん中でだよ。ライブの帰り」 「───…勝った? 武原くん」 「……………」 彼の微妙な表情から、みずほが勝たなかった事をさくらは悟った。けれど彼の、TVに向きなおした横顔は言う。 「当然だろ、このオレが誰かに負けるかよ」 …ふくれっ面が、ますます可愛く見えてしまった。 いけない、いけない。 カワイイなんて事一瞬でも考えたのがバレたら、もう口利いてもらえなくなっちゃう。 「ねぇ、今度ギター聞かせてよ。あたし武原くんの速弾き、聴いてみたいな」 ─────彼はようやく、いつもの無表情でうなずいた。 さくらは学校と母親にナイショで、バイトを探した。 「私はいいの、服だって靴だって、安いので十分。それよりもさくらにだけは不自由させたくないのよ」 母のこの口癖は、小さな頃からうんざりするほど聞かされてきた。物心ついた時から、この公団アパートに母と2人暮らしのさくらには、少々抵抗を感じるセリフでもあった。 母は精神的に、さくらに依存して生きているような面があり、さくらの手柄を自分の勲章のように思っている。 そんな価値観に馴染めず、けれど面と向かって反抗する事も出来なくて。…ただ、心の中でさくらの自立心だけは次第に大きく膨らんでいった。 先日、みずほとの会話の中で。「進学しない」と言った彼の言葉は、思った以上にさくらの心を動揺させていた。それまでは進学する事が当たり前で。母が何よりも望む夢でもあるその事を、叶えてあげるのが親孝行だとも思っていた。 ───…そんなぼんやりとした未来に、初めて「 ? 」マークが加わった。 …武原くんは大学行かずに何するの?と訊いた自分だけれど。…じゃあ自分はこれから、どうするのだろう。 そんな事、大学卒業前に決めればいいと思ってた。 けれど、何も無い。 大学に進学して、やりたい事や学びたい事が特にある訳でもない。…なのに、そんな自分の進学資金のために睡眠時間を削り、眠たい目を擦りながらドレッサーの前に正座して、マスカラを塗り、カーラーを外している母を見るのは忍びなかった。 母には全くそのつもりは無かったと思うのだけれど、まるで苦労を見せ付けられているようで………。時には暗に、脅迫されているように感じる事さえあったのだ─────…「あなたの未来は、母である私が決めるのよ」、と。 自分は、母の所有物ではない。 …その事を証明するための手段が、バイトであり『お金を手にする事』と知らず結び付いたのかも知れない。 母親から、自立したかった。 そうする事でさくらは初めて、自分の意思で自分の人生を選択できる地点に立てる気がしたのだった。 けれども、バイト探しは難航した。ただでさえ失業率の高いこんな時代に、高校生で。働ける職種も時間帯も限られているし、………その上母には内緒なのだから…。 さくらは何軒ものファストフード店や個人経営の飲食店を回り、また今日も日が暮れてしまった。 「……………!」 ふいに、鳩が数十羽、一斉に飛び立ったのかと思った。………違っていた、それは白い紙。 何かの資料だろうか。強風にあおられて舞い上がり、交差点付近の歩道に散らばったそれを、さくらは反射的に屈んで拾う。 「すみません」 背後から男性の声が届いた。さくらはそれらを、人に踏まれる前にと、急いでかき集めた。ようやく全てを手に取り、振り向くと、30過ぎの男性が立っていた。 とても穏やかで優しそうな瞳。 「…ありがとう、助かりました」 微笑みと共に、笑顔で右手を差し出す彼に、A4サイズの紙の束を手渡す。 「はい、全部で29枚。こちらのは39ページから60ページまで。58ページだけが抜けてましたよ」 「 ! 」 そうさくらに言われた男性は、見開いた瞳を丸くしながら、慌てて視線を自らの手元に落とす。 「僕のほうは………、あ、あった、58ページ。本当にありがとう」 「いいえ、じゃあ」 ─────さくらは、その場を立ち去った。そして翌日。『アルバイト募集、18歳以上』の張り紙のある小さなカフェに、ダメ元で足を踏み入れ「あ!」と声を上げる。 …昨日の男性が、カウンターの中に居た。 「バイト決まったんだ。今日から入るの」 昼休み、さくらはみずほにそう報告した。 「ヘェ、よく見つかったよな、オレ正直ムリと思ってた」 2人は体育館の裏の、ちょうど建物の構造上ベンチのように腰掛けられる高さの、コンクリートの出っ張りに腰を降ろしていた。 風が強くて、みずほのえんじ色したネクタイが舞う。彼はそれを、うるさげに肩に引っ掛けた。 「………これ、やる。お前のパンよこせ」 「え?」 「毎日同じもんだと飽きるんだよ」 彼の手は、無理やり弁当箱をさくらの膝に置き、代わりにさくらの膝の上にあった市販のサンドウィッチを取り上げた。 …いつから、こうして2人きりで昼食を摂るようになったのだろう。 夏が終わって…2学期初めの頃からだろうか。 いつもさくらの弁当はコンビニで買ったパン類で、みずほのそれは、母親の作ったものだった。 「どうして? おいしいのに」 さくらは、彼の弁当におそるおそる箸を付けた。 彼のお母さんが一人息子のためにわざわざ手間隙かけて作った物を、無断で口にする、という罪悪感もあったけれど、それ以上に彼女にとっては、普段彼が使っ ている箸に口を付けるという事のほうが妙にドギマギした。それを極力知られないように、何食わぬ顔を装って、えい、と口に放り込む。口の中で、にんじんの グラッセが溶けた。 何て手の込んだ、カラフルなランチボックスの中身。…いつもの事だけれど。 「あのババァ、オレの事今でもよーちえんのガキだと思い込みたいんだ」 …言われてみれば、そうかも知れない。まるで幼児のために作られたような内容のメニューだった。もしくは、結婚半年も経たない新妻が夫に作るような、かいがいしいお弁当。 この時のさくらには、思いつきもしなかった。いつも市販のパンなのに、それを気にも留めなかったみずほが、先日さくらのアパートで冷凍物の夕食を見て以来、時折昼食を交換してくれるようになっていた事には。 さくらは食べながら、バイトが決まったいきさつを彼に話して聞かせた。 「………でね、そのおじさん、昨日のお礼にっていう事で、あたしに決めてくれたんだ。ホントは18歳以上の、学生じゃない人がよかったのにだよ? いい人でしょ?」 みずほは「そうか?」と眉を潜めた。 「ただのスケベオヤジなだけじゃねーのか?」 みずほの言い方に、反発してムキになるさくら。 「そんな事ないよ! すっごく優しそうな人だよ?」 けれども、彼もすかさず言う。更にたたみ掛けるように。 「でもその店、夜は酒も出すバーかスナックみたいなとこなんだろ? 大丈夫なのか?」 「大丈夫だよ!」 「………いや、さくらはちょっと抜けてっからなぁ。よし、オレが大丈夫かどうか見に行ってやる。それでヤバそうだったらやめとけ」 有無を言わせない口調を前に、さくらはさすがに閉口した。 …何で竹原くんはそんなにも偉そうに、指図するような口を利くのよ?! そう思いつつも、言い返せない。 「……………………」 こうして放課後、2人は電車に揺られていた。 急行も停まる大きな駅で降りると、そこはオフィス街と繁華街がドッキングした複合型の街。 店は駅から歩いて5分ほどの、広い通りに面していた。先にさくらが一人、店に入る。定刻の5分前。 「やぁ。仕事はカンタンだからね。この前も言ったとおり。………ただ、『いらっしゃいませ』と『ありがとうございます』は笑顔で、大きな声で頼むよ」 男性から、紺色したコットンのエプロンを手渡された。腰に巻く、丈が短くてオシャレなデザインのもの。 持参していた私服に着替え、それをデニムパンツの上から身に付ける。 さくらにとっては、生まれて初めての労働だった。 飛び抜けて人なつこい性格でもないけれど、何とか接客はこなせるだろう…、そう思っていたものの、実際にやってみると予想以上に緊張した。 「………ハハ、大丈夫だよ、お客さんが居ない時までそんなに肩に力入れてたら、疲れちゃうよ?」 微笑うと細くなる目を持つ彼の名前は、錦 弘次(ニシキ コウジ)と言った。独身で、37歳。わざと伸ばした不精ヒゲがよく似合っていた。陽に灼けた肌に、腕まくりしたクリーム色のニットが、柔らかくて軽やかな 雰囲気の彼を引き立てている。彼は実年齢よりもずっと若く見えた。 時折、出前のオーダーも入った。 近隣のテナントビルのオフィスから、会議用にと、10杯単位で入る。 かなりの重さになる。…けれど、行くしかない。 落として割れないように注意しながら、さくらはトレイを手に、店の表に出た。 みずほが腕組みしたまま、壁にもたれて立っていた。 …何も言わない。 さくらが出前から戻ると、それほど間を置かずに、みずほは店に顔を出した。 「…いらっしゃいませ」 彼は憮然とした表情のまま、カウンター席ではなく、窓際の4人席に腰を降ろした。このカフェの中で一番の特等席。腕組みをしたまま、恐いカオを続けている。…そして、カフェラテを飲むと、15分ほどで席を立った。 最後まで一言も口を利かなかった。 「見た? 今のコ、目の覚めるような格好いい男の子だったなぁ」 さくらが、みずほのカップをトレイに載せ、カウンターの中まで戻ってきてシンクに漬けると、隣りで弘次が呟いた。 「さくらちゃんと同じくらいの歳かな? あれって同じS校じゃないの? 制服」 さくらは何と返事していいか分からなかった。その様子に、弘次が付け加える。 「………もしかして、知ってるコ?」 「ごめんなさい、同じクラスの………友達で」 「あ! 何だカレシかぁ」 「違いますっ、友達です!」 弘次は手を振りながら笑った。 「いいよいいよ、やけに怖いカオでオレの事睨むなぁ、どっかで会ったっけ?と思って」 …でもあれほどの美男子なら、一度会ったら忘れるはずないしな、と。そんな風に返されて、さくらは困ってしまった。 あぁもう。緊張するなぁ…。みずほも少しくらい愛想よくしてくれたっていいのに…。 ずーっと機嫌悪いカオしてるんだもん…。 ─────夕方6時を回ると、客層は少し変わり、常連客がやって来てアルコールをオーダーした。 たまにカクテルのオーダーが入ると、そのたびに一つずつ作り方を教わる。 「うわ、可愛いコが入ってよかったじゃん、コウジ」 オーナーの弘次と同世代の男性は、さくらを冷やかした。もちろん「可愛い」などという言葉はお世辞だと分かっているけれど、言われ慣れてないものだから、さくらは少しうろたえて赤面してしまう。 高校生だという事はナイショにして「大学生です」と名乗った。 …こうして、エキサイティングな初日が無事に終わった。ガチガチに緊張しっぱなしの6時間。午後10時になっていた。 店を出ると、みずほは少し離れたオフィスビルの前、つつじの植え垣の低い囲いに腰を降ろし、やはり腕を組んでそこに居た。 「やだ………! 待っててくれたの?! あの後、すぐ帰ったんだと思ってた!」 みずほはやはり、何の返事もしなかった。 考え込むみたいな表情で、黙々と歩き出す。 こんな時、彼が何を考えてるのか本当に解らなくて、さくらは戸惑った。 「…ありがとね」 小さな声で、それだけ言った。 何に対してありがとなのか、よく分からなかったけれど。 みずほが返事を返さないから、さくらは余計に困ってうつむいた。 帰りの電車は、ラッシュだった。苦しいほどでは無いけれど、ここまで混んでるとは思いもしなかった。 「……………?」 車内で。 学生カバンを胸に抱えて立つさくらのスカートに、違和感が走る。 ………え? やだ、何………? それは、誰かの手持ちのバッグの角などではない。あきらかに意思を持った、指。 すぐに痴漢だとは結びつかず、無言で耐える。 向かいに立つみずほは、もちろん何も気付いていない。 「 ! 」 ガタン、と、大きく車内が揺れて、さくらは足元のバランスを崩した。 咄嗟に、みずほに倒れ掛かった身体を、彼が受け止めてくれた。そのままさくらを支えるみたいに、ブレザーの二の腕を掴む。 …スカートに掛かる何者かの手は、まだ止みはしなかった。 「……………………」 訴えるような瞳で、彼女はみずほを見上げる。こめかみを冷や汗が伝った。 「─────…?」 だけど、みずほは気付かない。 …やがて、背後の手はスカートの布越しに、さくらの太腿の内側を撫で始めた。 …やだ、武原くん気付いて………、お願い…! 思わず涙が滲んだ。 「 ? 」 見下ろしているみずほが、形のいい眉を寄せる。 「さくら………?」 ─────だけど、言えない。叫べない………。 再び電車が大きく揺れ、停止した車両のドアが開いた。…ようやく、一つため息をつく。 …けれど滑り始めた車両では、止んだはずの手が、またも執拗にまさぐってくる。 そしてそれは、下肢の付け根にまで入り込むように触れてきた。 「……………っ!」 さくらは硬く目をつぶり、みずほの胸にしがみついた。 「おい」 さすがのみずほも、異変に気付いた。 次の停車駅のホームに、電車が滑り込む。 「ッ! 武…」 みずほと目が合った中年男性が、扉が開くなり、きびすを返した。 「 ! 」 みずほが追う。 男はもう車両を後にしている。 車両付近では、降車の人波を待てないサラリーマンが、彼を遮るような壁を作っていた。 「くそ、どけ………!」 みずほはその人ごみを掻き分け、改札付近にまで走る男を追った。男はあっという間に改札を、足早に抜けてゆく。 舌打ちをすると、彼の右手は、自らのカバンを投げていた。 直線を描いたそれは、一枚の板のように、角から男の後頭部に直撃した。 「 ! 」 頭を押さえながら、やや前かがみにひるんだ男。みずほは改札を矢のように飛び越え、男を背中から突き倒す。目にも留まらぬ速さ。…まるで、この前のバスケの試合でレイアップシュートを決めた時みたいに。 「武原くん…っ」 ようやくさくらが改札を抜けた時には、人だかりの中、うつ伏せの男の背にみずほが馬乗りになっていた。 「私は何もやってない」と、周囲に向かって懇願するように叫ぶ男。 ざわめきと共に、駅員が慌てて駆け寄ってくる。 みずほは男を殴りはしなかった。 けれども、見物人からは見えないように、男の指を一本反り上げた。 「うわ………ッ、やめろ…」 そしてそのまま、男の耳元でささやきかける。 「何もしてないなら、何で逃げた?」 「た、助けてくれ…ッ」 男は空いたほうの手を駅員に向けて苦しげに伸ばしていた。 みずほは周囲をすっかり取り囲んだヤジ馬に向かって、顔を上げた。 「何もしてないと言いながら逃げたコイツと、痴漢の現行犯を捕らえたオレ、あんた達はどっちを信じる?」 若いOLや、オバサンが「サイテー」「やりそうなカオしてるわよ、痴漢」などと、口々に低い声で返し始めた。駅員は、その場の空気を味方につけた高校生を、それ以上非難出来なくなってしまった。 近くの警察を出ると、もう11時を回っていた。 再度、先ほどの駅から改札を通ってホームに入り、電車を待つ。 「やっぱやめとけ、バイト」 みずほはさくらを、乗り込んだ車両のドア付近の壁面に立たせた。 「……………」 さくらはうつむいたままだった。 「家まで送ってってやるよ」 電車を降り、みずほはらしくないセリフを言った。 「い、いいよ、一人で大丈夫だよ。武原くん家、北口でしょう? 反対方向だもんっ」 「……………」 南口改札を出たところで立ち止まる。向かい合っている2人のすぐ脇で、高校生のカップルがキスしていた。 みずほはつまらなさそうにそちらに目をやると、ポケットに手を突っ込んだ。 「…あたし、バイト、やっぱ続けてみる。…もしもまた今日みたいな事があったら…考え直す」 顔を上げてそう言い切ったさくらに、ピクリと片側の眉が上がる。 「じゃあお前、ケータイ持て」 「………え?」 「何かあったら、オレに連絡しろ」 「 ?! 」 みずほの言葉に、今度はさくらが瞳を大きく見開いた。 「何で?」 「何でって…」 心配だからに決まってんだろ、と。言った彼の声は、空耳かと疑うほど小さかった。 「何だか付き合ってるみたいだね、そういうのって」 照れ隠しに言ったはずなのに、咄嗟の自分の言葉に、さくらは赤くなった。 視線を逸らした先に、先ほどからイチャついてる他校の生徒が目に入って、余計にバツが悪くなる。 こ、困るよ…、こういう雰囲気っ。どうしていいのか分かんないよ…。 「じ、じゃあねっ、また明日…! バイバイ」 逃げるようにさくらは身を翻した。 まだ、それほど寒さは感じないけれど、夜更けの通りは街灯が寂しく感じられる。 武原くん…何考えてるのかやっぱり分かんないな…。だけど、痴漢を捕まえてくれたの、ホントはすっごく嬉しかった。感激だった。 ていうか、格好良すぎた。…言葉にも態度にも出せなかったけれど…。 今日、もしも一人でバイト先から電車に乗ってたら、って考えるとやっぱり少し足がすくむ。一人じゃなくてよかった。 今頃になって、怖さが心を逆流してくるよ…。 駅から自宅までは、歩いて10分。 先ほどの電車での事もあって、知らず身を硬くして足速になる。けれど、さくらの努力もむなしく、屋台の脇を横切ると、酔ったサラリーマンが冷やかし混じりに声を掛けて来た。 「 ! 」 その上、いきなり背後から肩を掴まれる。 「…っきゃ!」 飛びあがりそうになりながら振り返ると、みずほだった。さくらの肩を強く引き寄せる彼。彼女の肩が、彼の上腕に当たる。 「何だぁ、一人じゃねぇのか、お姉ちゃん。ちぇッ」 「武原くん………」 みずほはそのままさくらの肩を抱いて歩いた。掴まれたままの上腕辺りに、彼の手のひらの温度を感じる。…心臓は驚きに大きく鳴ったままだった。 今日は何だか、いつもの倍ほど鼓動が騒ぐ一日。さっきの一件でのドキドキもまだ治まっていないのに、また思い出したように壊れた時計のような状態の早鐘。 さくらは回らない頭のままで、隣りの横顔をそっと盗み見た。 やっぱり何を考えてるのかまるで見えない無表情。 作り物か石膏像みたいな、綺麗な顔立ち。 ─────やっぱり、怒ってるのかな…。それとも呆れてる…? 苛立ってる…? 「ご、ごめん…何か…面倒掛けて…」 彼は何も答えてくれない。 さくらの肩に回されたままの彼の手は痛いほど強くて、みずほが不機嫌さを伝えているようにも感じられた。 |
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