モーニングキスは弟から。 | ||
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第三話 放課後のキス。 「………麦茶、飲むか………?」 ダイニングの扉を開けると、累が居た。 バツの悪さは、お互い様。 累があたしのために注いでくれたグラスを、テーブルの上に差し出す。 目なんてお互い、合わせられるワケもなかった。また頬が熱くなる。 「…てか何でこんな早く戻って来たワケ…っ?」 あたしの問いに、 「テストだから今日から部活休み」 そう返事が返ってきた。 そっか…、言われてみれば、だよね。 「─────…どっか行くの…?」 あたしの服装を見て、彼が低く問う。 「………うん、ちょっと………。」 麦茶のグラスを手に持ちながら席には着かず、あたしは言葉を濁した。 …今日もあたしは、ブルーがかったパープルのスリップドレス。レースが胸元とスカートの裾にあしらわれている。 累はそのまま放っておいてくれると思ったのに、「なぁ、訊いていい?」といきなり顔を上げた。 「金曜の夜、お前何してんの?」 「………えっ…、」 累の眼差しは、微笑ってない。…いつもの事だけど。 「何でもいいじゃん…、ワカと…ちょっと…、」 「ウソつけ」 「………っ、嘘じゃないよ…!」 そこまで言いながら、脳裏にミドリの顔がよぎる。 「あっ…!ミドリ?!ミドリでしょ?!バラしたの!」 「…何も聞いてないよ、…てかお前…、何でそんないっつも新しい服着てるの?」 「いいじゃんっ、放っといてよっ!」 「放っとけないから訊いてるんだろ?…お母さんとか、薄々気付いて心配してるぞ?」 「何よッ!あたしが何してるって?!薄々気付いてって何?!」 「お前、まさかだけどどっかのオヤジと援交っぽい事してるんじゃないのか?!」 「してないっ!!バカにしないでよッ!!」 「じゃあ、今からどこ行くか言えるよな?!」 累も立ち上がった。…いきなり、高い目線からまっすぐに見下ろされる。 「………っ…、デ、デートだもん………っ」 「?!」 彼の眉が潜められる。…わッ、この表情は予想外…! 「き、金曜の夜はデートなのっ!だから文句言わないでよね…っ!る、累はそりゃ部活一筋でさっ、水泳してればそれで楽しいかも知れないけどっ、あたしはそんなお子様な事してても楽しくないもんっ。ガキには判んないのよッ!」 「─────…ッ!」 「!」 うわ!…ビックリした。累に腕を捉まれたから。 いつかみたいに、手首を引かれた。 「……………、」 だけど、その手はすぐに離された。 累の瞳は迷うように揺れ、あたしから視線も離れる。 「───…判った…。遅くなるんだったら、迎えに行ってやるから…。…てか、ちゃんと駅までじゃなくって、家の前まで送ってもらえ」 「─────………。」 すっごい気まずい空気。今まで、これほど息苦しさを感じた事なんてないくらい。 押し潰されそう、この立ち込める雨雲に。 …そう思ってたら、にわかに窓の外も暗くなり、通り雨が降り出した。 あたしは累から逃げるように、傘をひったくるようにして外へ駆けた。…駅に向かって走ってると、また泣きたくなった。 あたし、気付いたら累の事ばかり気にしてる。 ………違う、ホントはもっと前から薄々気付いてたの、気付かないようにしてただけ。 あたしがキレイになりたいのも、オシャレするのも、全部累を振り向かせたいからだ。 彼の注意を引きたい。あたし、誰よりも彼に「綺麗」って言ってもらいたいの。 お店の常連客のおじさん達に言って欲しいわけじゃないんだ。 綺麗な服を着たあたしの事、累に「綺麗だね」って言って欲しい。 メイクするのも、髪を手入れするのも、彼の視線をこちらに引き付けたいからだ。 累、………累。 あたし達、何で義理の姉弟なんだろう。 近くに居るせいで、傷付くよ。…近くに居るせいで、あたしの嫌な部分、暴かれる。 あたしの裸見て累はどう思った?スタイルあんまり良くないなって思われたかも?脚太いって思われた…?もっと痩せてて、色の白い子が好き…? あたしホントは全然自分に自信ないよ…。だから必死でそれを隠して…メイクして、あたしは他の幼いクラスメイト達とは違うんだ、ってスタンス保って…。 マンガなんか読まない、代わりにファッション雑誌でブランドの新作アイテムチェックして…。 背伸びして大人に見せようって頑張って。 あたしはワカみたいになりたかった。だってワカは周囲に振り回されないもん。…人の目も気にしないし、いつも堂々としてるし。 大人な彼氏が居るし、お酒も飲めるし。あたしみたいに、周囲の評価を必要としてなんてないんだっ。だれかに「綺麗」とか「カワイイ」とか言われるために必死になってない。だからワカは自然体で格好いい。 ミドリだってそうだよ。彼女はムリしない。好きなものは好きって素直に言えるし、恥ずかしい時、恥ずかしそうに出来る。背伸びして大人に見せたりしない。そういう意味では、 ワカと一緒だ。周囲の目よりも、自分がどうしていたいかを大切にしてる。あたしみたいに虚勢を張らない。…そして、好きだったら好きって言える。…すっごい勇気の持ち主。 …今のあたしは格好良くない。きっとダサダサだ…。こんなあたし、そりゃ累があきれても当然だよ………。だって何一つ、いいとこないもんっ。あたしみたいな人間が姉だなんて、累も迷惑だと思って当たり前。お父さんも。…お母さんも。 ホントに涙が知らず溢れていて、あたしの視界はグチャグチャに滲んだ。 通り雨が上がっても、まだ視界の向こうは雨模様。だけど歯を食いしばって、仕事に行くしかない。…だって、今さらどうしていいのか分かんないもんっ。家に帰って累とまた顔を合わせるのも嫌だ。………どこにも行けない。だから仕事に行くしかない………。 ─────また新しい香水、貰った。 「今度、外で会って話とかしない?」 お客さんにそう言われた。 結局世間知らずでお子様なあたしは、「外で会って話しとかしない?」の意味が、よもやセックスだなんて気付きもしなかった。 だけど、お店に来る途中であたしは気付いてしまったから。 ………あたしは多分、累が好きだ。 知らない間に、こんなにも好きになってた。 だからもう、背伸びして大人な男の人と付き合う必要も無い。…もっと言えば、もうお金も要らない。新しい服もバッグも、化粧品も。…新しい香水も。 累に嫌われるんなら、そんな物、もう何の意味もない。 「ごめんなさい………、今とてもそんな気分になれなくて…。」 その日は、あたしがお店をやめるには格好の『ツイてない事ばかり起こる日』だった。 累にハダカを見られたばかりか、お店で初めてお尻をお触りされてしまった。…まぁ、今 まで触られずに済んでた事自体、ラッキーだったんだと思うし、仕方ない。 店長に「やめます」と言うと控え室に呼ばれ、そこでいきなり抱き付かれて個人的なお付き合いを迫られた。 「とか言っちゃってェ、ホントはけっこう好きなんじゃないの…?瑞香ちゃんー」 「何がですかっ!」 「エッチな事とかさ」 そんな事を露骨に耳元で言われて、気が付けば店を駆け出していた。…だから最後のバイト料は貰えず終いだった。…肌に虫ずが走るような嫌悪感が残って、家に戻ってもそのままベッドに頭から潜り込んで、気分の悪さに耐えた。 累は、テスト期間に入っても、ずっと夕食の時間にしか戻らなくなった。 「…お母さん、累どこ行ってるの…?」 まさか………彼女が出来てデートとか? …うわ、やだ、考えたくないけど…ミドリと…? 「市営プールで泳いでるみたい。…累くんには感心するわ…、よっぽど水泳が好きなのね…。まぁ、この夏の大会で3年生は引退だしね」 「あいつテスト勉強、しなくて大丈夫なのかな………」 あたしの独り言に、母は声を立てて笑った。 「瑞香こそ、累くんに勉強教えてもらったほうがいいんじゃないの…?」 その言葉に、累は自分より成績が良いのだと初めて知る。 「ゲロ。やだよ、何でよりによってあいつに勉強見てもらわなくちゃいけないのっ」 母はまた笑う。 「…瑞香、いい加減に仲良くしてちょうだいよ。…そりゃホントの姉弟みたいに、とは言わないけど…しばらく一緒に暮らしていかなくちゃしょうがないんだし…。お母さん達が再婚する時、そう約束してくれたじゃない。でもまぁ、それもあと半年ちょっとよ。累くん、東京の大学行きたいみたいだから。その後は…まぁ累くんも瑞香もそのうち誰かいい人が見つ かって…そうしたらもう、それぞれ独立するわけなんだから…。そう考えてみると今だけ。あと半年、たった半年だけよ。一緒にこうして暮らすのも。…ね?お願いね」 「─────………。」 あたしは、母の言葉の一つ一つにショックを受けていた。 そうか…!そうなんだ、「姉弟」だなんて、他の誰も手に入れられない関係を手に入れたと錯覚していたのはあたしだけ…。 いくら戸籍上姉弟になったからって、累には累の人生が…あたしにはあたしの人生がある…。そしてそれはほんの今だけ、こうして重なり合ってるだけなんだ───…。 ハンマーで後頭部を殴られたような衝撃が、一人になってもしばらく残った。 累には累の人生が………?! いつか累が誰かと結婚式とか挙げる時には、あたしどれだけ嫌でも、その式に列席しなくちゃならないって事─────…?! うわ………! 姉弟なんて…っ!こんな残酷な関係、ないよ………! これから先、あいつが誰と付き合って別れて…そんな事、知りたくもないのに耳に入ってくる状況じゃん…っ!その上、あいつはあたしにだけは優しくない。あたしだけがいつも冷たくされたまま─────…。 累は朝も、あたしと顔を合わすのを避けるみたいに、早朝トレーニングを開始した。 夜は夜で、遅くまで泳いで戻ってきて…。テストが終わっても、部活と、それ以外にジム通い…。 「大会、7月の最終日曜日だって。」 母から教えてもらっても、とても両親について彼を応援しに行く気分になれなかった。 ─────だってあたし、間違いなく累に避けられてるよ………。 同じ家に住んでるのに、まるで顔を合わせないもん…。 気のせいなんかじゃない。絶対避けてる。 学校の廊下ですれ違うくらい。…しかも、愛想なく「あぁ、」って感じ。それ以上会話するワケでもない。 ………この前の、シャワーの後ハダカ見られた日からだ…、あたしが避けられてるの。 あたしあの時、自分のバツの悪さ隠すために、累の部活の事『お子様な事』だなんて…つい口走っちゃった。 あれで完全に怒ったみたい…、でもそれも当然…。 彼にとっては許せないほどヒドイ言葉だったかも…知れないよね───…。 だけど、たまらなく───…胸が締め付けられるように寂しい………。孤独…。 あたし、元々一人っ子だし…、弟が出来た、って言われても、まるで実感なんて沸かなかった。今だって累の事、弟みたいに感じた事なんて一度もない。…むしろ、彼のほうが大人っぽいから、何だかお兄ちゃんみたいだ。…そのお兄ちゃんにいつの間にか依存しかかっていたあたしに気付かされる。 無視されるのはつらいよ………。耐え難いよ…、本当に───…。 とうとう明日は終業式。あと2日で夏休み。ワカがどっか寄って帰ろうよと言ってくれたけど断り、何となくあたしは一人教室に残っていた。うだるような暑さが、窓から直撃してくる。 射すような太陽光線。…いよいよ真夏。 ───…累に会いに行ってみようか…。 仲直り、しようよ、って。 だってあと半年だものね、あたし達が姉弟の真似事出来るのも…。 今さらあたしの事、バカらしくって仲良くする気にもならないかも知れないけどさ、あたし…素直じゃなかったと思うから…。 それに彼の部活の事、バカにした。 彼の一番大切にしてるものをけなしたんだもんね…、当然だよね。 「よしっ、謝ろうっ!」 ─────明日から、お父さんとお母さんは社員旅行。お父さんの会社の子会社に当たる工場に、お母さんは勤務してる。二人はその関係で出会ったんだって。…で、社員旅行は数社合同で行くらしい。いくつかグループに分かれて期間をズラして行く 旅行。たまたま今年は、2人のグループは重なった。 …てことは、あたしと累は4日間、家事を分担しなければならない。ごはんも作らなくちゃならない。…やっぱ、今日中に仲直り…しておくべき。 あたしは累の教室へ足を向けた。 「………っ!」 ギクリとした。 誰も残っていない教室、累とミドリが二人きりだった。 思わず戸口に身を隠して、そうっと覗いた。…だって今、かなり離れてる距離なのに累があたしを見た気がしたんだ。 「─────…、」 心臓が凍った。 すごく近い2人の距離が、親密さの度合いを表している気がした。 …そして…。───…うわ! 「───…ッ!」 ─────2人はキスをした。 背筋が音を立てて硬直した。 あたしはどうやってその場を離れたんだろう。…もう、よく分からない。 気が付けば、息を切らして自宅のダイニングに居た。 ガランとひと気のない、自宅。 半年前4人で越してきた、高校の近くの一戸建て。 瞬きの仕方を忘れた気がした。…さっき、あの場面を見てしまった時。 今もあたしは目を開けているのに、瞳は何も映そうとしてくれない…さっきの、あのシーン以外。 「─────………っ………、」 …気のせいじゃないんなら…。累、あたしを見たよね………? だからキスした…? ううん、あの角度からじゃ、あたしの見間違い…かな…っ。 キスしたように見えただけかも………? そうだよ気のせいかも! でも…っ。 知らず、唇を噛み締めているあたしが居た。 呼吸困難に陥りそうな心を、落ち着かせようと自分に何度も言い聞かせる。 あたしは彼の姉なんだ………。そして彼にミドリを紹介したのはあたし…。だったらこういう展開、あったっておかしくないじゃない。 ミドリ、ずっと1年の時から累の事好きだったんだしっ。 だったら、良かったじゃない、恋が実ったんだよ…? ミドリはすっごくいい子だもんっ。累もすっごくいいヤツ、ホントは。 だから良かったよ、本当に…。お似合いだと思う、あの2人。 「………あっ…、そ、そうだ…っ、買い物…行かなくちゃ…、晩御飯…、」 呟きながら冷蔵庫を開ける。食材は十分すぎるほど買い揃えてあった。 「えっと………、あ!麦茶っ!麦茶作ろうっ!」 あたしは回らない頭で、麦茶一つ作るのにも苦労した。 ………そうこうしていたら、玄関の鍵が開く音が背後に聞こえて、にわかに怖くなる。 累と顔を合わせなくちゃならない。 「─────…は、早かったね…、」 ぎこちなく笑顔を作り、振り向いたあたしを見て、累は眉を潜めた。 「…もう8時だけど…?」 「えっ………!」 ホントだった、言われてみれば、もうとっぷり夏の夜は暮れている。 「何でまだ制服…?」 指差されて、自分が帰宅してから着替えても居ない事にやっと気が付いた。 「ほッ、ホントだっ…、ハハ…、き、着替えてくるっ!」 「─────………。」 累は相変わらず、笑わない。 食事のしたくは、累のほうがずっと慣れていた。 「…オヤジと交代でずっと家事してたから。」 「あ、…そ、そうか………。」 離婚してからお互い、親一人子一人なのに、何にも手伝って来なかった自分を今さらながら恥ずかしく思う。 累は有り合わせで晩御飯を作ってくれた。 「………皿だして。これ、容器から移して。」 「あ、…は、はいっ」 淡々と言われて、戸惑いながら言われた通りにする。 「ごはんよそって」 「えっ、あっ、ごめんっ!」 ─────…こうして、初めてたった二人っきり。ダイニングに向かい合う。 「………久しぶりだね…、ここで二人ってのも…」 「…あぁ、うん…オレ朝早く出るようになったから」 「う、うんっ、そうそうっ。…っと、大会、もうすぐでしょ…?」 話題が見つからなくて、どうでもいい事を口にした。累はあたしの目を見ようともしなかった。 彼は食事中、TVを付けない。だから今夜も、音の無い部屋。 「……………。」 「が、頑張って…、応援してる。…それから…っ、そのっ、いつかはごめんっ。…えっと…あたし、その、バカになんてしてないよ?そこまで水泳に打ち込んでる累の事、すごいなーってホントは思ってるしっ」 「─────………。」 彼は2秒ほど遅れて、「あぁ、」と先日の会話を思い出したように小さく頷いた。 「…いいよ、価値観が違う、ってだけだろう?…オレも別にお前が誰かとのデートに夢中になっても、バカになんてする気ないし」 「……………っ、」 う、嘘なんだよ…っ、累、あの時の事…っ。 そう言いたい。誤解解きたい…。もっと素直に。 だけど、喉に言葉が引っかかって、言えない…。 泣きそうになる。…でも泣いちゃいけない。唇を噛み締めたら、余計に喉の奥が痛いほど熱く震えだして、あたしは2階の部屋に逃げるしかなかった。 |
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