モーニングキスは弟から。
第二話 一つ屋根の下。
 
父が出勤すると、再び2人きり。
気まずい沈黙。
「…オヤジの前ではニコニコしやがって。」
彼のつぶやき。
「?!」
あたしも再び、眉間にシワを寄せる。
「何よ、累だってお母さんの前じゃまるでホストみたい!」
「───…ホストォ?!」
彼も同じ顔になる。
「そうじゃんっ、ヘラヘラしちゃってぇー、誰にだって愛想振り撒いて。そんなにみんなから好かれたい?!だけどあたしは知ってるから、あんたの本性」
「………んだよそれ」
「二重人格っ!ホントのあんたは優しくもないし、ただ要領いいだけの世渡り男だもんっ」
「─────…、」
「ホラ、言い返せないじゃんっ!図星だからでしょ?!」
「お前こそなんだよ、そのメイク!その髪!その香水!何か勘違いしてないか?!」
「何よ、オシャレしてどこが悪いの?!」
「全ッ然似合ってない」
「……………ッ、…い、いいでしょ、放っといてっ!別にあたしは累のためにオシャレしてませんから!」
何だかふいに目頭が熱くなって、あたしはたまらず席を立ち、顔を見られる前に階段を駆け上った。
そのまま自室のベッドに突っ伏し、胸の痛みを堪えてたら、本当に涙が滲んできた。
…何だか、ワケもなくつらくなった。それも、ハンパじゃなく。
うわ、胸から喉元、一気につらさが襲ってくる。津波みたいにあたしを飲み込む。
なんであたし、こんなにも今大ショック受けて傷付いてるの?!
全然似合ってない、だって…!
何あれ?!あのセリフ…!
「……………っ、…ッく、」
だけど堪えようとすればするほど、涙は逆に止まらなくなってしまった。嗚咽まで漏れてしまう始末。
泣きながら思った。…そうだ、そこを否定されたらあたし、もう「お前なんか消えろ!」って言われたのも同然なんだ。
ひどいよ累、その部分を否定されたらあたし、存在全部を否定されたのと一緒だよ…っ。
 
ドアの向こうから、累の声。
「………おい。ガッコ遅れるぞ?」
もうっ!放っといてよ…!あんたのせいじゃんっ、あたしの傷付くような事ばっかりグサグサ言うから…っ!だから声も涙も止まらないじゃん…っ!
「おいコラ、瑞香」
もう…!向こう行ってったら!いつもみたいにさっさと一人、先に出て行けばいーんだっ!
早くそうしてよ…!でないとあたし、泣き顔見られるもん、出られないよ、部屋から…!
「─────…瑞香…?…ごめん、言いすぎたって…。悪かったから」
だけど累は、なかなかあたしのドア一枚隔てた向こう、廊下から立ち去ってくれない。
ようやく涙が治まっても、きっとあたしの顔、パンダになってるよー、アイラインもマスカラもグチャグチャだよきっと…!
累はまだドアの外に立ってるのかな…、きっと立ってるよなぁ…。
仕方ないからカバンで顔を隠して、ダッシュで出て行こう…!
あたしは勢いよくドアを開け、そのまま廊下を階段目掛けてダッシュした。
「え、あ…おいっ、」
追ってくる累。
「うるさいっ!」
逃げるみたいに階段を駆け下りようとする。冷静じゃない頭。
「う、…わっ!!」
脚がもつれて、頭から…っ!キャー!!ソックスが滑る…ッ!
 
「……………………っ、」
ひっくり返るはずが、あたしは宙で浮いていた。
「─────…っもう…、ビビらせんなよ………、」
安堵のため息を背後に聞く。
何が起こったのか。
…把握するまでに数秒。
累の腕。あたしのみぞおち。
あたしは彼のお陰で今、頭から階下にひっくり返らずに済んでいる。
「……………あぁ…。アセった………。」
彼はあたしを抱きかかえたまま、階段に腰を降ろした。だからあたしも必然的に、彼の腕の中、膝の上に座ってる状態。
「─────………。」
改めて下を見下ろし、ようやくゾッとする。
ここから落ちてたら…、死にゃしないけど、無傷でもない…よね…。うわ…、怖っ!
累の髪があたしの頬に触れたせいで、そちらを向くとそこに彼のうなだれた頭があった。
表情は見えない。だって、あたしの肩におでこがあるもん…。
累の腕は、想像も出来ないほど強くて。クレーンみたいにあたしの身体をさらった。
「…お前………ホントにもう、」
くぐもった彼の独り言みたいな呟きが、肩のほうから漏れ聞こえる。
「─────…っ…、る、累が悪いんだっ、累のせいだから…っ!」
咄嗟に。ありがとう、って可愛く言えればよかったんだけど…、ムリだった。
そんなの恥ずかしすぎた。憎まれ口叩くので精一杯。
あたし、我ながらこういう時、不器用…可愛くない。…だけどホントに累も悪いんだし…
っ!そうだよっ、累が酷いこと言わなかったら、あたし不覚にも泣いちゃうなんて事なかったもん…っ!そしたらパンダ顔にもならずに済んだし、いつも通り、すんなり学校行けたんだ…っ。累が悪いっ。みんな累が悪いっ!
「何よっ、それに何か偉そうだよっ、累!あたしのほうが姉なんだからね…!この家の中であんたが一番幼くて、士農工商で言えばあんたが商人っ!一番下ッ!判った?!」
累が顔を上げる。…う。目が合う、意に反してドキッとしてしまう、あたしの胸。
す、すごい…間近すぎっ!
累の目が、ふいに細められた。
あれ…?!あたしに向かって微笑ってない…?!今…?!
そうしていたら、その微笑いは段々…忍び笑いと言うのか…おかしさを堪えきれなくなった、っていう感じに変化してゆく。
「な、何よッ、」
「…いや、」
彼は肩を震わせながら、いきなりあたしに向かって指を伸ばした。
「ッ!」
咄嗟に、瞳をぎゅっと閉じてしまった。
うわ、怖い…!…え?…あれ?
彼の指が、あたしの目の下に触れる。………あっ、反対側にも。
…それから数度、そこを指でこすられた。…しまった、パンダ顔…!見られて笑われたのか…!
「……………っ」
もう、いつ目を開けたらいいのかも判らなくなってしまって。あたしはバクバク言ってる心臓に気付き、尚更慌てた。
あっ…、や、ヤバすぎるっ、だって…、累の片手、あたしのみぞおちに回されてるままだもん…っ!
心臓の音、モロ伝わってるんじゃ…?!
「─────…る、累…、」
焦りとともに彼の胸の中から離れようと身じろぐと、彼は予想外の言葉を口にした。
「スッピンのがいいのに。」
「………?!」
ホント、吐息が触れそうな距離。唇から唇まで、多分10cmないよ…?!
累の瞳は、吸い込まれそうだ、やっぱり。…それに今は、あたしには向けられるはずのない、柔らかな眼差し…。
そのままキスされそうな気がして、また怖くなって目を閉じた。だけど、
「お礼は言ってくれなくても別にいいから。」
へっ?!何それどういう意味…?!
彼の低い声。
「………胸触れたから、ラッキーという事で。それで許す。」
「ッ?!」
累はもう立ち上がっていた。
そしてその場にあたしを残し、すり抜けるように階段を降りてしまった。一度だけ、階下からあたしを振り返り、
「遅刻するぞ、はやくメイクなおせよ」
とだけ付け加えて。
 
─────…な、なんだとぉーッ!!
む…胸触れたから…?!それで許す…ッ?!
 
もう恥ずかしいやら、首から上がのぼせたみたいに熱くて、たまらなくて。羞恥心に飲み込まれてしまいそうで、あたしはその場に突っ伏した。
 
累のやつ………ッ!
あいつこそとんだ食わせ物だ…ッ!
何あれ?!何あの態度ッ?!
わーッ!耳にあいつの声が張り付いて離れない…ッ!
─────低くて…。やっぱりあいつの表情みたいに、甘い声。
その声が………。
“胸触れたから、ラッキーという事で。それで許す。”
キャー!!
不覚…っ!
あいつの甘い笑顔に心臓バクバクしちゃった自分も許せないよーっ!!
こ、こんなはずじゃないじゃんっ、形成逆転だッ、年功序列で言えば、あいつが一番下
なんだ…っ!この家の中では、あたしはあいつの姉で…っ、あいつはあたしの弟で…っ!
なのに弟にいいように手のひらで転がされてどーすんのッ?!
名誉挽回しなければ…ッ!
あたしが、累なんかに到底手に追えるようなカンタンな女じゃない、って思い知らせてやらなきゃ…っ!
そうよっ、もっといい女になってやるんだ…!
あいつにヤキモキさせてやる…!
あたしの事、気になって気になってしょうがなくしてやる…ッ!!
すっごく魅力的な大人の女に変身してやるんだ…!
 
「ワカ、あたしもあそこでバイトする!」
あたしはお水のバイトをやる事に決めた。
ワカはアイメイクばっちりの瞳を丸く見開いた。長身の腕を組んだまま、あたしを見下ろしてくる。…相変わらず大人っぽくて格好いいなぁ。雰囲気、藤原紀香みたい。
「ミドリ、アリバイ、よろしく!」
「………え?だ、大丈夫なの…?」
オロオロとうろたえている別の友達に、金曜夜のアリバイを頼む。
ホントは初日の、あの駅前での一件で怖気づいてた。また一人の時にナンパされたら
どうしよう、って。この前みたいにタイミングよく、累が迎えに来てくれるってワケにはいかない。だけど、お店からタクシーで帰る事にしたって、バイト代は十分あるもんっ。
だから大丈夫!
やるんだっ、それでブランドものの化粧品ゲットして、もっともっとキレイになってみせる!
あのヤローに「すみませんでした」って負けを認めさせてやる…ッ!
アリバイ頼んだ友達・ミドリには、その代わりに累を紹介して、って頼まれた。
ちなみにあたしと累が義理の姉弟になった、という事は、高校内ではワカとミドリにしか言ってない。累も誰にも言ってないと思う。(知れればいいネタにされるのは目に見えてるもんね…!)
ちょっと嫌だったんだけど…、(いや、ホントはすっごく嫌だったんだけど、)いいよ、累を紹介してあげる、って言った。
「でも紹介するだけだからねっ。そっから先はあたし知らないから…!」
「うんっ、そっから先は、自分で頑張るっ!ありがと、瑞香…!」
ミドリははにかむように微笑った。…ちょっと可愛くて、女のあたしには苦手な笑いかた。
…何ていうのか、羨ましいような悔しいような気分にさせられる。だってすごく女の子らしく微笑うから。…あたしにはあの笑い方出来ないから、ズルいな、ってつい思ってしまう。
ミドリはあたしのバイトの事、少し心配してるみたいだった。ワカと違って、すっごくマジメちゃんだもん。そう、ミドリは少女マンガに登場するような王子様を待ってるタイプ。
そんなミドリには、累はたまらなく理想の彼なんだろうな…。
ホントは累は王子様なんかじゃない、したたかな要領男だけどねっ。
2回目のバイト。…お客さんから特別にお小遣い、貰えちゃった…!
え………?!いいのいいの?!ホントに?!一日のバイト料より多いよ…?!
テーブルの下から、そっと手の中に握らされた一万円札。
「…これでもっとキレイになってね、次に会う時までに。」
「!」
 
「…また、違う香りする………」
朝。両親が出勤した途端、ダイニングテーブルで新聞の折り込みチラシに視線を落としたまま、累が無愛想に呟いた。
「…フフ。イヴ・サンローラン。ベビードール。」
勝ち誇るあたし。…だけど。
「────…頭痛しそう。オレその香りダメかも。…それ以上傍に寄るな。…もう行く」
「ッ?!」
「ちょっとッ!なんちゅー失礼なヤツッ!」
あたしの怒鳴り声と、あいつのダイニングのドアを閉める音は同時だった。
「何よーッ!!待ちなさいよッ!」
「………んだよ、」
玄関で靴を履く累。慌ててカバンを引っさげ、後に続くあたし。
「待ってよ、今日はちょっと話あるんだから…!」
あたしは今日、ミドリに累を紹介する事になっていた。
累はニコリともせず、冷ややかにあたしを流し見てくる。
「…今日もメイク濃いな…」
「フツーだよっ!!てかあんたにどうこう言われたくないしっ!」
もうすぐ期末テスト。…それが終われば、夏休み。…朝の空気はもう夏の熱をはらんで、まとわり付いてくる。
「ミドリの事、知ってる?」
「………誰?」
「あたしの友達っ。津村翠ッ」
「─────…あぁ。」
「えっ?知ってるの?」
意外だった。ちょっとギクリとしてしまう。
「バレー部のマネージャーしてる子だろ?」
「何でっ?!何で知ってんの、」
「………オレの仲いいヤツがバレー部だから」
「ふーん………」
「あいつ、モテるよな」
「えっ!ウソ!ミドリが?!」
全然知らなかった…!
累が首を縦に振る。やっぱりあたしはにわかに焦る。自分一人が知らなくて、取り残されたような胸騒ぎを覚える。
「………で?津村ミドリがどうしたの?」
累は相変わらず、面倒くさそうに問い直してくる。
「─────…、累を紹介して、って。」
「………、」
累は、少し立ち止まってあたしを見た。
それから、何でもないようにまた歩き出す。
住宅街の細い道。同じような建て売りの一戸建てが続く道。
表情の見えない、横顔。
あたしはワザとはしゃいだような声を出した。
「ミ、ミドリに頼まれて…ッ、嫌って言えなくてさ…っ。今日ミドリ、少し早く来て待ってるんだ、…ね?いいでしょ、」
「─────…。…オレに津村と付き合えって事?」
「な、何もそこまで言ってないじゃんっ、でもっ、ミドリはホンキみたいだしっ。…すっごくいい子だよ?!」
「………ふーん………」
「な、何よッ、」
「おせっかい」
「…ムカ。」
それきり、学校に着くまで累は何も話さなくて。あたしはそんな累の横顔を伺いながら、心の中で「きっと彼に告白する女の子なんていっぱいいるんだろうな」とも思った。
「…累、彼女居ないよね…?」
何となく、初めてそんな事を訊いてみた。
「───…いるよーに見えるか?」
「え、だって…っ、ハハ、一応…っミドリのために…っ、」
「…居たらケータイ持ってるって」
「─────………。ケータイないんだ?」
「…今は。」
今は?………って事は、前は持ってたって意味?…という事は、前は彼女アリだった?
あたしは意外にも、半年一つ屋根の下で暮らしていながら、累について大して知りもしない事に気付いて、愕然としていた。
校門の手前で、ミドリの姿を発見した。
彼女はあたしと累を見つけると、真っ赤になってうつむいた。…そんな表情をみながらあたしは、やっぱりズルいな、って思ってしまった。彼女の事を。
その後あたしは、気を効かせてさっさとロッカーのほうへ姿を消したので、その後二人がどんな話をしたのかも知らない。
ただ………、何だか嫌な予感というのか、何も起こっていもしないのに、後悔に似た念が頭の隅をチクリと刺した。
 
テスト期間が近づいた、金曜日。今日はバイトの日。着替える前にシャワーしようと思って、誰も居ない自宅へ急いで戻った。………この日が、こんなにも人生でサイアクの日になるなんて、この時にはまだ知る由もないままに。
脱衣所手前の洗面台で、自分の顔を鏡に映してみる。
「……………………。」
バイト先では、カワイイよね、って言ってもらえる。だけどお客さんたちはみんな、他の女の子にも同じ事を言う。
ワカもあたしのこと、けっこうカワイイしイケてるって!って褒めてくれる。…だけど…ホントにそうかな…?
あたし、頑張ってるけど可愛くなってる…?本当に………?
少しは進歩してる…?少しは大人になってる?あの香水が似合う女の子になってるの…?
累はまったく褒めてくれない。やっぱり相変わらず、ちょっと冷ややかに呆れた目であたしを見てる。
ミドリとはどうなったんだろう…?
ミドリはあの後、「片桐くん、とりあえず友達になってくれるって…!もうそれだけでも信じられなくって!夢みたいで…!」と可愛く微笑っていた。
1年の時からずっとミドリは累を好きで、とうとう3年の夏。このまま卒業なんて…と思ったら、今告白しなきゃ後悔する、という考えに至ったらしい。フラれたとしても、別のクラスだし───…あと半年ちょっとで卒業だし。
ミドリは女の子のあたしの目から見たら、「もっとオシャレすればいいのに」って思うような女の子。
透明のリップグロスさえ付けない。髪も無難なセミロングのストレートだし、制服のスカート丈も、もっと短くすれば格好いいのに、膝が隠れててダサいよ。
………だけど知らなかったなぁ…、ミドリ、今までに何人もの男の子から告られてたんだって。
あたし、今までに男の子から告られた事なんて一度もないよ………。
男の子の目から見たら、あたしなんてホントは全然イケてないんじゃない…?!
みんながカワイイって言ってくれるのはお世辞じゃない…?あたしが他の女の子よりモテないから、可哀想だと思って、励ましてくれてるだけじゃないの…?
あたし、頑張っても到底ダメなんじゃない…?
鏡の中に映ってる、メイクしているあたしの顔。
何だか今日はもう、どんどんブルーになっちゃって。シャワーした後もう一度メイクしなおすなんて、考えただけでも気の遠くなるような事に思えた。
それでも、頑張って行かなくちゃっ。仕事なんだし…っ。
あたしは自分を奮い立たせて、何とかシャワーする。
シャワーと一緒にブルーな気分も流してしまえればいいのにな…。
そして、最後に冷たい水しぶきを頭から被ると、バスルームを出た。
その時………!もうサイアク…!!
「っ!」
いきなり、ドアを開けられ、思いっきり累に見られた…!!ハ、裸を…っ!
「えっ?!キャ…ッ、てかっ!何で…っ…、」
「うわ、ごめんっ!」
累も慌てて扉を閉める。
 
うわーん…!もうもう、サイアク…っ。死にたい…。
あたしはそのままバスタオルごと脱衣所にしゃがみ込み、うなだれた。
どんだけ見られたのっ?!全部…?!
累はもうそこには居ない。当たり前だけどっ。
うわ…っ、どう思ったんだろ、どう思われたんだろう…っ、サイアク、マジにもうサイアク…!!
 
 
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