風花〜かざはな〜

「ゆき乃は……あの藤沢力也という男にもっと警戒心を持たないといけないよ?」
街までの車の中、恭祐様が少し低い声でおっしゃった。
「そうですか……?でも、今までもあんな感じでしたよ。それに、藤沢くんは……」
「あんな風にっ、軽々しい女と同じように見られて、ゆき乃は悔しくないのか?」
いつになく、強い苛立った口調で腕を組んだままの恭祐様はそう言った後、窓の外を見られていて、こちらを向いては下さらない。
「それは……でも、慣れてますから。別に藤沢くんだけじゃないですし、他の方も同じです。館に来られるお客人の方々もそうですから……その度に悔しがってもしょうがありません」
「けれども、ゆき乃は……」
「それよりも、恭祐様が連れて行ってくださるのはどこなんですか?ゆき乃はまだ甘味処と言うところには行ったことないのですよ?貴恵さんや律さんがよく『あんみつ』や『くずきり』がおいしいと言ってましたわ、どちらを食べればいいのでしょう?」
わたしは努めて明るく話題を変える。わたしの扱われ方など、恭祐様が気になさることはないのだから……
「あ……ああ、そうだね、ゆき乃は細いから、両方食べればいいんだよ」
「本当にいいんですか?嬉しいです!」
わたしが話題を変えたがっていることに気がつかれたのか、コチラに向き直って少し申し訳なさそうに薄く微笑まれる恭祐様は、わたしの後れ毛をすくって耳にかける。微かに指が触れて、わたしは跳ね上がる想いに気付かれないように微笑みを返す。
「もっと……まえから連れてきてやればよかったね……ごめんよ」
「どうして謝まられるんですか?恭祐様はよくしてくださってます、。ゆき乃にはもったいないくらいです」
そう答えたわたしの手をぽんぽんと励ますように軽く叩かれた後、車が到着するまでの間、重ねられた手は動くことがなかった。
わたしは戸惑いながらも動けずにいた……


甘味処にならんで入って、恭祐様がおもしろがってたくさん注文するので、二人で必死になって平らげた。
甘い餡や蜜の味が口の中に広がるたびに、わたしが驚くものだから、目の前にいる恭祐様がその度におかしそうに笑われる。外で、作りたてのこういった物を食べるのは本当においしいんだって、初めて知った。
それに……恭祐様と二人きりの時間なんて。
こうやって並んでいると知らない者からすれば、岡上の学園の高等部に通う二人にしか見えないのだろう。一部の人には恋人同士のように見えるのか、周りでひそひそと『お似合いね』なんて言う声を聞いて嬉しいような、悲しいような……。
そんな誤解はもう今となっては辛いだけの物。妹のように振る舞わなければと、いや、その前にお仕えしている立場だと言い聞かせるのに、つい釣られて微笑んでしまう。
「ゆき乃、おいしいかい?」
「え、ええ、とっても……このままじゃ夕飯がお腹に入りそうにないです。帰って一働きしなくっちゃ」
「ゆき乃……まだうちで働くの?」
「ええ、だって、学校に通わせて頂いてるのに、遊んでるわけにいきません」
「聞いてないのか?なにも……」
「え?」
「ゆき乃はこれから少しずつ、ピアノやお花やお茶と言ったお稽古ごともするんだよ?」
「それは……」
そんなことをお館様が言っていたのは覚えているけれども、まさかと思っていた。
「母は、反対したらしいけれどもね、父がそう押し通したと聞いているよ。僕も賛成だよ」
お館様はわたしをお嬢様に仕立て上げて、どうするつもりなんだろう?どう考えても善意からで無いのは判っている。わたしの価値を上げて…
ぞっとした。
すべてがそのためならば、努力することも恐ろしい気がした。
「ゆき乃を宮之原にふさわしい子女にしようとしてるのなら、僕は協力を惜しまないよ?そのことがとても嬉しいんだ。ゆき乃は、やれば出来る子だしね、そうなってくれれば……僕は、」
わたしは、その意図するものと、そのことによって起こる奥様のご不興を考えると気が重かった。出来ることなら、あのまま、ただの女中として、恭祐様を思い続けている方が幾ばくか幸せだったことか……
「ゆき乃?どうしたの……急に黙り込んで?」
「いえ、あのっ、わたしにはそんなこと出来ません。それに、出来るようになっても、わたしは……」
「何言ってるの?ピアノ以外はほとんど基礎は妙に教わってるだろう?彼女はお花もお茶も師範クラスだと聞いてるよ?」
確かに、幼いときから基本を教わりはしてるので、いざというときは困りはしないけれども、茶室などに呼ばれたこともないので、ちゃんと出来るかどうかなど心配はある。花は、最近お館のお花を生けるのは半分はわたしの仕事なのだ。
「ピアノなら、僕も教えてあげるから、いいね?」
「は、はい……」
また、恭祐様との時間が増えるの?どうしよう……迷いの心が生まれてしまう。嬉しいのと、辛いのと……
「さあ、そろそろ帰ろうか?」
伝票を持って立ち上がる恭祐様の後ろをついて店を出た。


帰り道も、わたしは自分の扱われ方が変わったことに慣れず、その裏の理由を考えて沈んでいた。
「ゆき乃……」
「え?」
恭祐様の手が再びわたしの手に重なった。
「またちょくちょく来ようか?」
「はい……」
でも、避けた方がいいかも知れないって思う。
「それと、明日から、また藤沢力也がちょっかいをかけてきたら、すぐに生徒会室に来るんだよ?いいね」
「でも、ご迷惑じゃ……」
「いいんだ、会長や他の役員にも言っておくよ。ゆき乃が心配なんだよ」
そう言いながら、恭祐様はわたしの手を軽く握った。本当に心配してくださってるんだと、判る。だからハイとうなずきはしたものの、鈴音様や他の生徒の手前そうすることに躊躇してしていた。


高等部に進んでからは生活が一変した。
館内では、続けて妙さんの手伝いをしていたものの、わたしの仕事はすべて新入りの人たちに取って代わられていた。週に1度のピアノのレッスンは元々恭祐様を教えていらした先生がしてくださった。空いた時間に練習させて頂こうとピアノに近づくと恭祐様がいらして練習を見てくださることになってしまう。今まではそんな風にしているだけでも奥様のお小言が飛んできていたのに何もおっしゃらないのが不気味なほどだった。それ以外はお茶、お花、着付けは今まで通り妙さんに教わっていた。それとテーブルマナーを覚えるために、週に何度か奥様やお館様がいらっしゃらないときに限られるけれども恭祐様に夕食のテーブルに招かれるのだ。
「独りで食べるのは寂しかったんだよ?ゆき乃とこうして食事できるのは楽しいな」
恭祐様は単純に喜んでいらっしゃるけれども、こんな、身内のような扱いをしながらも無言のお館様が怖かった。
学園内では相変わらず風当たりはきつかったけれども、遠巻きに様子を見ている方々と、面と向かって非難されるかたとに別れてはいた。制服を着ている限りでは、どんな立場にあるかなんて判らないし、高等部に居る限り難関を突破してきた者達であることは間違いなかったから……
それに生徒会に出入りしていることも影響していたと思う。
生徒会役員には生徒会長の恭祐様をはじめ、副会長の高田様、書記には小笠原様など、成績優秀な方々がが揃っている。高等部でも相変わらずわらず人気の高い恭祐様をはじめ、高田様など生徒会の役員のみなさんは全校生徒の憧れの的なのだ。
そこに出入りするのが、この間まで下働きのメイド風情なのが周りの不興を買っているのは判っていた。校内でも屈指の人気の方々が声をかけるのが、自分達をさしおいてわたしだと言うのが許せないのだろう。クラス内では特に風当たりはきつかった。
おまけに恭祐様が、藤沢くんのことを警戒して教室まで顔を出すものだから、余計に鈴音様の反感を煽ってしまっていた。今更彼女のことをどうこう言うつもりはないけれども、迎えに来られるたびに、否応なく他の生徒達の注目を浴びてしまう。もちろん鈴音様の視線は厳しかった。

特に車での通学には慣れなくて……
わたしはお嬢様じゃないんだから、出来るだけいろんな視線を避けるために、自力で通うようにしていた。恭祐様は車で送り迎えをしたがったけれども、先に館や教室を出てしまえばそれで済んだ。その方が奥様も気分を悪くされないし、鈴音様も嫌な顔をしない。通い慣れた道は人しか通れない山道だけど走ればなんともなかった。
それに       怖かったのだ。
二人ならんで車のシートに座って居ることが……
恭祐様はあれから戯れのようにわたしの手に自分を重ねてこられる。その真意はなんなのか、考えることすら怖かった。昔はよく手を繋いで遊んだし、屋根の上に出たときも、手を繋いで並んでいた。あの時と同じつもりなのだろうか?妹としてなのか、それとも……まさかという思いが頭を掠める。いっそのこと血が繋がっているかも知れないことを伝えようとも思ったけれども、どうしても言えなかった。
それほど、恭祐様の視線が優しくて、わたしはすべてを忘れてしまいそうになるから……
一人で行こうと、そっと館を早めに出ても、山道にはいるまでに途中で捕まってしまうことも多かった。先回りしてニッコリ笑ってわたしを車に引き込む恭祐様は、意外と強引だったりする。
そうしてまた車から降りるときに刺さるような視線を受けなければならないのに……
「どうして、ゆき乃は逃げるのかな?」
強引に車に乗せられた後などは、言い聞かせるかのように、なおのこと強く手を捕らえられてしまう。
「あの、恭祐様、手を……」
「ダメだよ、離したらまたゆき乃は逃げるだろう?」
そう言われて、車を降りるまで離してもらえないのに……苦しいけれども、その手が温かくって、嬉しく感じるのはなぜ?兄妹だったっとしたら、手を繋ぐぐらいは許されるのだろうか?そんなことばかり考えてしまっていた。


2年になると、ハイペースな授業について行けない生徒がちらほらと授業をサボりだす。大抵が内部受験組のいいところのおぼっちゃんだ。
彼らは数人で徒党を組んでは、弱い者を探していじめたがる。わたしなどはいい的だった。
彼らのしつこさに比べたら、藤沢くんなど、心配するに当たらなかった。
藤沢くんはあれ以来直接ちょっかいを出してこなくなった。ただ、じっとコチラを見ているのは肌で感じていた。
だけど……
わたしはどこかで藤沢くんを信用してるところがあった。何度も酷い言葉でわたしを辱めようとしたけれども、実際一度も手を出されたこともないし、反対に、他の男子生徒にからかわれたり蔑まれたりしたときに、さりげなく庇われてる気がしたから……
恭祐様がなぜ藤沢くんを警戒するのかが不思議なほどだった。

「いい気になってるんじゃないわよ!あんたみたいなのが生徒会に入ったとしても、小間使い代わりにしか思われてないんだからね!」
2年になって、生徒会委員として数人指名される。そのなかにわたしが入っていたのだ。それが気に入らない女生徒達に絡まれていた。
鈴音様は後ろで腕を組んだまま動かなかった……
最近の彼女はわたしを直接なじったりしなくなったのだ。後ろにいて不機嫌そうに見ているだけだった。恭祐様に対してだって、今までのように飛びついて言い寄るようなことも少なくなった。
大人になったのだろうか?
けれども、わたしを見る目がどんどん冷たく、憎しみのこもったモノに変わっていくのだけは判った。
それはわたしにだけでなく、小笠原様にも注がれていた……けれども小笠原様に対しては、少し違う。あれは優秀な女性に対する嫉妬と羨望のようだった。
小笠原真弓様は、成績優秀なだけでなく、これからの女性のあり方を解き、方向性を示すことの出来る方だった。恭祐様と高田様に挟まれて、3人で話されている姿は凛として、男性方に一歩も引かないその意志の強い容姿は、わたしでもため息が出るほどで……
「ダメよ、ゆき乃さん。ここにいいる人間は誰もあなたを小間使いだなんて思ってもいないわ。なのに下を向いてそんな遠慮がちにしなくてもいいのよ?みんなあなたを認めているわ。あなたがここを片づけるついでにしてくれた書類の分類や清書、とても助かったのよ?あなたはここに必要とされているのだから、便利な存在でなくていいのよ、必要不可欠な存在になってくれればいいんだから……もっと堂々と胸を張っておやりなさい」
生徒会委員に指名されたとき、それをお断りしようとしていたときに、そう言われた。
「便利でなく、必要な存在……」
「そうよ、今からの社会に女性の存在は大きく関わってくるわ。それは社会にも会社にも女性の存在が必要になってくると言うことよ。今ある知識も、これから身につける知識も使ってこそ、活かしてこそその価値が出るのよ。男の存在に生活させて貰うだけでなく、自分の力で生活していく力を付けるべきなのよ」
わたしは、自分の身分はわきまえているつもりだったけれども、そうできればどんなにいいか……
それ以来、わたし自身がそう思い始めていたことが態度に出ていたのか、鈴音様をかえって煽ってしまう形になってしまった。わたしは少しづつ変わっていたのかも知れない。メイドではなく、認めてもらえる存在になり得たことが、自信に繋がり、少しずつ顔を上げて、自分のやるべきことが見えるようになってくる。今までは控えていたその話の輪の中にも入ったりし始めたから……そのせいで、わたしと恭祐様と、高田様と小笠原様、4人がお似合いだなどと噂が立ち始めてしまったから……

鈴音様には許せないことだったに違いない。
もし、小笠原様が恭祐様の相手であればまだ納得されただろう。けれども彼女の視線の行き先が、高田様だとわたしでも気つくのだから、鈴音様にもそれは判ったはず……
鈴音様の一途な想いは判っていたし、わたしが目障りだと言うことも身に染みて判っていた。
けれどもその想いの強さ、激しさがどれほどのモノかなんて、わたしはちっとも判っていなかったのだ。


「ゆき乃!」
「恭祐様……あの、なにか?」
教室にはあまり顔を出されないようにとお願いしていたのに、珍しく恭祐様が授業が終わってすぐにやってこられた。
「すまない、今日は一緒に街に買い物に連れて行ってあげるって約束してたのに、放課後他校に出向かなければいけなくなったんだ。ごめんね、距離もあるのでうちの車で行くことになってしまって……」
「そんなこと、気になさらないでください」
「けれども今日は、ゆき乃とゆっくり出来ると思っていたのに……ゆき乃はすぐ妙の用事だとかいって帰ってしまうだろう?ゆき乃に似合う髪飾りを見つけようと張り切っていたのに……」
恭祐様の手がわたしの髪を軽くすくって残念そうな表情を見せた。珍しく子どもっぽいその表情にわたしは思わず笑みを漏らす。
「そんなことで張り切らないでくださいませ。ご用事は生徒会の件ですね。高田様もご一緒ですか?」
「ああ、小笠原女史も一緒だよ」
「では、気を付けて行ってらっしゃいませ」
「夕食には間に合わないかもしれないな。けれども今日はピアノを見る日だっただろう?ちゃんとサボらずにレッスンしているんだよ。いいね?」
「はい、先生」
ついいつもの調子で話しては居たけれども、背中に視線を感じて振り返ると、鈴音様と藤沢くん?すごい目つきでコチラを睨んでいた。もしかして恭祐様を睨んでいるの?何かあったのだろうか、あれから……
「ゆき乃、気を付けて帰るんだよ?」
その腕が取り込むようにわたしを引き寄せると、わたしは恭祐様の腕の中で耳元で一言囁いた。
『藤沢がすごい眼で見てるよ、彼には気を付けて……』
一瞬、キスしたかのように見えたのだろうか?ドンと机を蹴った藤沢くんが教室を飛び出していくのが見えた。鈴音様は、恭祐様の目の前だというのに、すごい表情でコチラを見据えている……
「あの、恭祐様っ……」
わたしが藻掻くとようやくその手を離してくださった。
「じゃあ」
恭祐様が立ち去ったあともわたしは怖くて後ろは振り向けなかった。恭祐様は藤沢力也に対する牽制だったかも知れないけれども、鈴音様には逆効果で……わたしは急いで鞄を持つと教室を出たけれども、借りていた本を返す期日が迫っていたので図書館に寄って、それから帰り道を急いだ。

山道に入って中腹あたりで背後に気配を感じた。
「へへ、こんな道通ってるんだ」
「獣道ってやつか?さすが下働きの女は違うなぁ?」
薄暗くなった山道が急に恐ろしい場所のように思えた。どこにも、誰の助けも無い場所……
「その下働きの女が、最近はどこぞのお嬢さんのような振りして大きな顔してやがるのは気にくわねえよなぁ?」
その声に聞き覚えがあった。最近授業をサボったり、なにかと素行の荒れてきたクラスの男子達数人に、いきなり囲まれた。
「オレたちより成績がいいって言うのも気にくわねえよなぁ?」
「生徒会なんぞに入って何する気だ?」
「何……こんなところまでついてきて……」
「何って、決まってるじゃねえか?」
にやりと彼らが笑ったのが……わかった。

      

恭祐様、そろそろ出番でした。

ですが、えっと、ほのぼのから、いきなりですが……10話は、暴力的って言うか、無理矢理的な表現が出てきますので、お嫌な方は読まないようになさってくださいませ。11話から読んでもたぶんまあ、おかしくはないはずです〜〜m(__)m