風花〜かざはな〜

22

幻じゃないんだろうか?
そう思って顔を上げるとやっぱり本物で……恭祐様は、逢わなかった間に、ずいぶんと引き締まった精悍な顔立ちになられている気がした。
「ゆき乃、こうやって飛び込んできてくれるってことは、僕を信じてくれてたってこと?」
「え?」
とろけそうなほど優しく微笑んで目を細めた恭祐様は、そう言いながらもそっと抱き締めていた腕を強めて、わたしの身体を引き寄せる。まるで、今までのことがなかったかのように……
血のつながりのあることを知らなくても、互いが大事な存在だと寄り添い合ってたあの頃のように。
「ゆき乃の近況も、力也を通して担任の布施先生から聞いてるよ」
「え?じゃあ、恭祐様は力也くんと会ってるんですか?彼は……」
「元気だよ。なんだ、もう彼の心配かい?妬けるなぁ……僕の心配はしてくれないの?」
ちょっと寂しげな表情をつくる恭祐様。昔のままの恭祐様がそこにいらした。わたしは身体を離して、恭祐様を正面からじっとみる。
「あの、恭祐様は……」
「ん?」
「ゆき乃がコチラに来て迷惑じゃなかったですか?妙さんの代わりにまたお部屋に行くのがわたしになって、迷惑じゃ……」
迷惑だから、わたしとはもう会えないと思われているとおもっていた。だから、一度も帰ってこられなかったのではないかと……お顔を見られるだけでいいからと、館に帰ってこられるのを心の底から待っていた。だけど、大学の長期休暇の間も、帰られなくて、何度気持ちが萎えそうになったか……辛い受験も、すべて恭祐様の側に居たいためだったから。
生活が落ち着いたことと、『恭祐様が東京でわたしを待ってるはずだから』と言う力也くんからの伝言だけを信じてここまで来た。だけど、自分からは会いになど行けなくて、今までずっと考えていた。恭祐様にお仕えしようとすること自体も迷惑なんじゃないかなんて。
「迷惑なもんか!あれから……僕は随分無茶をしたよ。ゆき乃には言えないようなこと、たくさんした。だけどあの日、力也が突然うちに来て……奴は連れ込んでいた女を追い返した後、酔った僕に一発喰らわせやがったんだ。その後散々悪態を付かれたよ。その話しの中で、その……借金の話しを初めて聞いたんだ。ゆき乃が親父に借金があっただなんて今まで聞いたことがなかったから。だから調べた。あれは、貴恵の借金だった、そうだね?」
両肩を掴まれて逃げられない状態で問いただされて、わたしは仕方なく頷くと満足そうに微笑まれた。
「やっぱり……それで、ゆき乃を引き取ろうとした藤沢商事に、親父がいきなり圧力をかけたってことも聞いた。あの、親父が……私情で動くのをはじめて見たよ。幸い力也のトコの商いは海外との提携が多かったからね、いくら宮之原でも手が出せない部分がある。だからそれを力也に伝えたんだ。それ以来、アイツは度々オレのトコに来てはおまえの様子を話していく。     異母妹だと判って、諦めようと躍起になって、それでも諦めることが出来なくて……それでもゆき乃はずっと僕の心のよりどころだったのを奴も知ってた。ゆき乃も、だろう?血の繋がりがあっても、想いは消せない、忘れることも、諦めることも出来るはずがないんだ。悩んだ挙げ句、じっとしていられないことに気がついた。親父が、ゆき乃に無茶を言ってたのは想像できる。いや、想像以上かも知れない。この部屋、親父が用意させたんだろう?このスーツも、この口紅の色も、全部親父好みのモノだからね」
それがどういう意味なのか、わたしにはまだ判らなかった。壁に掛けたままのスーツを眺めていると、ちょっとまってと恭祐様はドアを出て行き、しばらくして、平らな箱を持って戻ってきた。
「ゆき乃に似合うのは、こっち」
そう言って開いた箱の中身は淡い色の優しいラインのスーツだった。壁に掛かっていたのは少しボディコンシャスな、身体の線を強調したもので、高いヒールがなければ似合わないモノだったから。
「口紅は、薄く付けるだけでいいよ」
どうしてそんなことが判るのか聞くと、最近仕事で色んなモノを扱ってるから、と照れた顔で教えられた。
お風呂の脱衣所で、手渡されたスーツに着替えると、恭祐様は満足げに微笑まれていた。わたし自身も用意されたスーツより、恭祐様に渡された方がしっくりしているようにおもえた。
「親父が……ゆき乃に執着しているのは、報告を聞いて判っている。だから僕は決めたんだ。こっちに来たら、僕がゆき乃を守って……そのためにも、普段からずっと一緒にいて、今までにないくらいにゆき乃を思いっきり思いっきり甘やかそうってね」
「甘やかすんですか?」
「ああ、異母妹として、甘やかす……振り」
「ふ、振り、ですか?」
「ああ、親父の前では妹が出来て嬉しい兄を演じてみせる。出来るだけ……親父にゆき乃は触れさせないから」
一瞬、お館様にされた、アノコトが目の前をよぎった。
「ゆき乃?どうしたの……急に」
わたしの表情が強張るのに、恭祐様はすぐに気がつかれる。
「なんでも、ないです……」
わたしは急いで笑顔を貼り付ける。一瞬のことなのに、血の気の引く思い。未だに嘔吐感すらこみ上げてくる記憶。
「ああ、もうそろそろ出ないと入学式に間に合わないよ?とにかく大学や、僕の部屋は守備範囲だから、もう親父に好き勝手なことはさせない」
本当に?信じていいのかしら?でもあのお館様がそう簡単に手を引くとは思えないい……
ただ、恭祐様がココまでスッキリした顔で迎えてくれるなんて、考えても居なかったから、わたしはどう対処していいのか判らず、戸惑うばかりだった。
「どうしたの?ゆき乃は僕を信じて付いてきてくれると思って言ってるんだけど?それとも、力也を待つの?」
くすくすと悪戯っぽく笑う恭祐様は、ずっと昔の、屋根裏で遊んだときの笑顔だった。わたしは表情を緩めて、そのまま身体の力を抜いて恭祐様に身体を預けて答えを告げる。
「あれからずっと考えた。でもいくら考えても同じなんだ。僕はゆき乃を誰にも渡したくない。親父にも、他の男にも、力也にもだ……ゆき乃には、どんな形でもいいから、側にいて欲しいと思った。本当に手に入れられなくても……苦しい想いをしても構わない。ずっと、側に……僕だけのゆき乃で居て欲しい。だから、それなりの力を付けてみせる。これから、もっと……」
どんな形でも……それはわたしも望んでいたことだった。メイドでもいい、仕事のお手伝いでもいい、妹でも、何でもいいから側に、そう願ったのはわたしだ……
「わたしも、恭祐様の側に居られるなら、どんな形でも構いません、恭祐様を信じて、ずっと付いていきます。おそばに……置いてください」
再びきつく抱きしめられた。
「一年……離れていて、いつゆき乃を失うか、誰かに奪われないか、今の自分を見て拒絶されないか、そればかり心配だった。それを思えば、こうして側にいられるだけで、どれだけ安心できるか……」
「わたしもです……。綺麗な女の人を、恭祐様が愛されたとしても、しかたがないって……それでも、お側にいてお仕えできれば、ゆき乃はそれだけでいいと思いました。恭祐様が今まで通りの、ゆき乃の好きなぼっちゃまだったら……」
ぼっちゃまはよしてくれと、恭祐様は嫌そうな顔を見せるとこつんと額をあわせてこられた。
「ゆき乃を想う気持ちは館にいた頃の僕と変わりはないよ?まあ、最初は本当にヤケだったけれども、力也に殴られてからは、遊んでる振りをしていたんだ。親父の目を誤魔化さないといけないからね。これからも遊んでる振りは続けるよ?それでもいい?」
「振りをされるんですか?」
「そう、女性と遊び歩いていながら、ゆき乃をちゃんと妹として見れるようになった兄の振りをするから。だって、もしかしたら、今日も親父はゆき乃の入学式に来るかもしれない。来れないよう細工はしておいたけれどもね。それほどあの人の執着心は強いよ。けれど、おまえをエスコートするのは僕だから……いいね?
優しいその抱擁に溶けてしまいそうだった。優しい手がわたしを包み込んで離さない。
まるで離れてた一年分を補おうとするほどに……
「いけない、入学式に遅刻してしまうよ」
さあといってせかされるので、わたしは急いで靴箱の中から一番低いヒールの靴を出して履き、その後に続いた。外に止めてあった国産車の助手席のドアを開けられて、そこに身体を滑り込ませた。恭祐様の隣の席に……


恭祐様の言う通り、お館様は入学式には姿を見せられなかった。
代わりに秘書の女性が待っていて、お館様が急に来られなくなったこと告げてきた。自分が代わりに付きそうと、若く美しいその女性は言い張ったが、恭祐様がうまく言って帰って貰った。
おそらくわたしの衣装を選んだのはこの女性だろう。秘書と言うほど控えめでなく、あわよくば恭祐様ににすら取り入ろうとする我の強さ。『親父らしい……相変わらずの趣味だ』と恭祐様はぼそりと愚痴られた。おそらくお館様の手の付いているその女(ヒト)は、色っぽい仕草で恭祐様に視線を送ってきていたから……
でもよかった。
ほっとする。わたしはお館様を見ると、未だに身体が硬直してしまうのだ。あの時の恐怖は未だにぬぐえない。お館様もそれが判るのか、あれ以来強要はしてこないけれども、それがいつ来るのか、わたしはビクビクしていなければならないんだろうか?

式の後、恭祐様に学内を案内していただき、いろいろ話した。
あれから、恭祐様が何をなさっていたか、密かに起業されたことや、力也くんと組んで何かなさろうとしてること。
今日は外で食事しようと、すごく立派なレストランに連れて行かれた。マナーはたたき込まれているので大丈夫だったけれども、何もかもが初めてで失敗しないか、恭祐様に恥をかかさないかが心配でしょうがなかった。
「大丈夫だよ。それよりそっと僕の斜め後ろの男性連れを見てご覧?ニッコリ微笑んであげるといいよ。ゆき乃に見とれてるから」
「まさか……」
そっとそちらに目線をやると男性がじっと見て居たので軽く会釈する。するとその場で立ち上がりお辞儀をしてきた。
「な、なんなんですか?」
「ゆき乃が綺麗だからみんな見とれてるんだよ。食事をする仕草でも、十分どこかのお嬢様に見えるよ?」
「そ、それは恭祐様がご一緒してくださってるからです。反対側の女性がさっきからずっと恭祐様を見つめてらっしゃいますわ」
長く上流階級のパーティなどで給仕をし慣れていたわたしには、女性の視線の行き先などすぐに判ってしまう。いつだって恭祐様はそのお綺麗な顔と優雅な仕草で周りの女性の視線を集めてしまう。そして判っていてニッコリとよそ行きの笑顔を振りまかれるのだ。女性の心を掴む処世術はお館様以上なんじゃないかしら?これからも女性とあそんでる振りは続けるって言ってらしたし……
「ゆき乃がそれに焼き餅妬いてくれたら嬉しいんだけど?」
おどけてそう笑う笑顔はいつもの恭祐様だった。


今日はもう遅いからと、そのままアパートまで送っていただいた。
「あれ?ゆき乃、部屋の電気消し忘れたかい?」
「いいえ、そんな……あっ!」
窓に映る影は背が高く、肩幅の広いスーツ姿……
「親父……」
わたしは息を飲んでその場に立ちつくしてしまった。
お館様が部屋の中に居る。ということは、鍵を持ってらっしゃるのだ。だとすると、いつでも自由に、ああやって部屋に入って来られるという事実。
その恐怖がわたしを支配する。逃げても逃げても追いかけてくる、束縛の魔の手。
「ゆき乃??」
わたしの様子がおかしいと思った恭祐様がわたしをそっと抱き寄せた。
「怖いのか、親父が……」
わたしは頷く。
「なに……されたんだ?」
「…………」
わたしは答えられずにいたら、恭祐様がもっと強い力で抱きしめ直してくれた。
「ゆき乃、僕が護るから……だから言ってくれ、なぜそこまでゆき乃は親父を怖がるんだ?」
わたしは大きく息を吸い込んだ。
「お館様は、力也くんとのことを疑った時に……わたしが処女かどうかを確かめるために……身体を調べられたんです。そのあと……お、収まりがつかないからと……く、口で……」
「なっ!?まさか……親子なのに???」
「そうじゃなければ……と」
「あの、エロ親父が!!何を考えてるんだ!!……だけど僕も言えないか、知らなかったとはいえ、ゆき乃の身体を……」
「それはいいんです!あの時は……わたしもそれを望んだのですから」
もう二度と求め合ってはいけないあの温もり……あの快感は忘れなくてはいけない。二人して暗黙の了解を取り合う。
「僕が付いてるから……」
行こうと、背中に手を回しアパートのドアまで連れて行かれる。
ドアを開けてわたしを先に部屋に押し込むと、恭祐様もすぐに中に入ってこられた。
「ゆき乃、なんだ、まだ恭祐もいたのか」
お館様は冷たい目線で御自分の息子をジロリと睨め付けた。
「ええ、異母妹の入学式ぐらい身内が付いて行ってやろうと思いましてね。それにしても、あなたがこんなところにくるなんて、今まででは考えられないことですね。息子である僕の所に来たこともないのに?」
恭祐様も、いつものように黙って頷くのではなく、真正面からその視線に対抗していた。
「ふん、男は心配はいらんがな、女はそう言うわけにもいかん。どんな虫が付くともしれんからな。おまえは、今日はずっとコレに付いていたのか?」
わたしを視線で指し示すと、どっかりと椅子に座り込んだ。
「ええ、僕も家族同様に育ったゆき乃が心配でね、今日はエスコートしてきましたよ。僕が付いてる限りは悪い虫は付いてこないからいいでしょう?お眼鏡に適ったいい虫だけ近寄せることが出来ますよ」
「ふん、まあ、いいわ。なんだ、その服は……?秘書が用意した服と違う物を着ていたと心配していたぞ」
「ああ、あの服は少し趣味が悪い。自分が着る服を選ぶような秘書はいただけませんね。10代の清楚な感じのするこの服のほうがゆき乃には合っていますよ。そのほうがお嬢様らしくも見えますしね。僕がまた見立ててやろうと思っています。あなたもこっちの方がよく似合うと思っているのでしょう?」
壁に掛かったスーツと見比べると、お館様は恭祐様から忌々そうに視線をはずして側にあったコートを手に取った。
「帰る」
一言そう言いい残すと、ドアに向かう。その時、すれ違いざまに身体が震えたのが恭祐様にも伝わったのかもしれない。
「ふん」
不機嫌そうなお館様の声が残る。
部屋から気配が消えて、ようやく肩から力が抜けた。
「ゆき乃、震えてたけど、大丈夫なの?」
頷くと、そのまま恭祐様に縋ってしまった。耳元で恭祐様がわたしの名前を呼ぶと、窓に映らない部屋の死角まで連れて行かれて、そのまま引き寄せられ抱きしめられた。
暖かい安心感に包まれる。

「よほど怖い思いをしたんだな……僕が……忘れさせてあげたいよ、ゆき乃……」
恭祐様の声が甘く、わたしを包んで、切なさがこみ上げて来た。

      

異母兄妹として、共に支え合うことを決意した二人。
思いは変わらないだけど……
お館様の影を残して二人の夜が、始まる。きゃぁ〜〜〜〜(汗)