風花〜かざはな〜

18


スリップ姿の豊満な体つきの女性。
彼女の艶めいた仕草から、ここで恭祐様とどんなことがあったのか容易に想像できた。

帰りたかった。

このまま回れ右をして、帰れるものなら帰りたい。
でも……仕事できている限りはそれが出来ない。
「あの、恭祐様はいらっしゃいますでしょうか?宮之原の家の者が来たとお伝え下さいませ」
じろじろとわたしを値踏みするような視線。こんなことならメイド服でも来てくればよかった……一応と思って、私服、普通にワンピースで来ていたから。
「ちょっとまって……恭祐ぇ」
甘えた声で恭祐様を呼びながら、奥へと入っていく女性。
あの身体で……恭祐様に愛されたのだろうか?恭祐様のすべてを受け入れて……
あの日二人で眠った寝室から、スラックスにシャツを羽織っただけの恭祐様が眠そうに出てくる。
「ん……妙が来たのか?」
いつもの恭祐様の様子とは随分違う。お酒臭さが当たりに漂っていた。リビングにもお酒の瓶が転がって、恭祐様らしくない乱れた生活が垣間見られた。
「え……ゆ、ゆき乃っ!なんで……おまえが??」
玄関口に立つわたしを見つけて、恭祐様は驚いた顔を向けた。
「おはようございます。朝早くから申し訳ありません。妙さんに衣服の入れ替えと、身の回りのお世話を言い付かってきましたが、お邪魔でしたら、時間を改めて参ります」
「くっ……」
思いっきり渋い顔をされてしまった。
出来るだけ平静を装っては居たけれども、心の中では泣き出したい気持ちだった。けれども仕事で何でもない顔をするのは幼い頃からのメイドの心得で……身に染みついたその所作でわたしは平然と無表情を保って、立っていた。
だって、わたしは恭祐様になにも言えない。言えるような立場でもないから……
「入って待っていて」
そうわたしに一言伝えると寝室に戻っていった女性の元へ向かった。

きっと、そういうこと……
わたしの居場所はもうここにはない。ただお仕えするだけしかない。
「いいから、さっさと帰れ!」
「もう、なによっ、急にあらっぽいわねっ!」
最初に出てきたときと変わらないほどのきわどい衣服を身につけた女性を、恭祐様はドアから押し出した。

ばたんとドアを締めた後、大きなため息をつき、肩を落とした恭祐様はゆっくりとわたしの方へ視線を向けてきたけれども、すぐにその視線を逸らされる。
「なんで、ゆき乃が来たんだ?」
「妙さんが、そう何度も上京するのは身体が持たないそうで、出来れば毎週末わたしにお世話に上がるようにと……」
「くっ……連絡があったけれども、てっきり妙が来るんだとばかり……彼女なら夜行で来たりしないから」
苦々しい声の恭祐様の顔をじっと見ているわけにもいかず、わたしはどう動けばいいか考えながら、部屋を見回していた。
今のわたしの仕事は、この部屋の掃除と洗濯を済ませることだから……
「あの、よろしかったら、お掃除はじめさせて頂いてよろしいですか?」
ああと頷く恭祐様はソファに腰を落とすと、テーブルの上にあったタバコに手を伸ばした。
「えっ……あの、吸われるのですか……?」
「ああ」
タバコをくわえて、大きく吸うとそのまま天上に向かって煙を吐き出した。
こんな恭祐様もはじめて見る。
いつも折り目正しく、優しく爽やかな空気をまとい、誰にも気を配り、そして、わたしを大切にしてくれた……わたしが部屋に行くと、仕事をしている間も、じっとわたしを優しく見ていたり、話しかけてくれたり……
今の恭祐様はずいぶんと雰囲気すら変わられてしまったようだった。わずか数ヶ月のことなのに……
「空気入れ換えますね」
タバコとアルコールに混じった甘ったるい香水の香りが、わたしには堪らなくイヤだった。
ばたばたと室内を片付け、隅々まで掃除しながら溜まっている洗濯物を洗濯機に放り込んでは干していく。
「ゆき乃っ!」
わたしが寝室に入ろうとすると、恭祐様は急ぎ追いかけてきた。
「そこはしなくていいっ!!」
乱れたシーツ、リビング以上にむせかえる女の臭い、情交の後……
貴恵さんが居なくなってから、お館様の部屋の片付けをさせられているわたしには、見慣れた風景。
ここで、恭祐様は……
「あのっ、慣れてますから……コレもわたしの仕事です。恭祐様にはさせられませんでしょう?」
「ゆき乃っ、おまえ……」
「お館様のお部屋の片づけで、な、慣れてますから……」
バン!と、壁を拳で叩く音が聞こえた。
恭祐様の震える拳が、そのまま壁を押さえて、顔を背けたまま動かずにいる。
わたしはつかつかとベッドに向かうとシーツをはがす。堪えていたはずの涙が溢れてこぼれそうになるのを必死で我慢して、新しいシーツでベッドメーキングしながら、部屋の空気も入れ換え、掃除を済ませた。剥がしたシーツを洗濯機に持って行こうと近づくと、恭祐様の手が伸びてきた。
「僕が持って行く……」
「でも……」
「ゆき乃に、させたくないんだ……いいわけはしない。僕は酒場で出会ったあの女性と一晩過ごした。かなりの酒を飲んでたけれども、これが、初めてじゃない……僕は毎晩違う女と……」
「そ、それは、恭祐様の自由です……」
「責めないのか??ついこの間までゆき乃を愛してると言ったその腕で他の女を……それもあんな……」
「ゆき乃にはそんな資格はありませんっ!」
わたしはクローゼットに飛び込んだ。ここなら恭祐様からは見えない。この歪んだ表情も、こぼれ落ちそうな涙も……
衣服の仕分けを済ませて台所に向かい、料理をはじめる。タマネギを刻みながら堪えきれなかった涙を流す。
そのくらいは許して欲しい……嗚咽がこぼれるけれども水の音で誤魔化してしまう。
平気な振りなど、しているだけなのだ。心も身体も、あの女性に嫉妬している。
いっそのことこの身体を捨てて、他の存在になれるのなら……恭祐様を愛する資格が得られるのなら、今の人生すべてを捨てても構わないと思ってしまえる。
諦めも、納得も、すべて形だけだったと気がついた。
それは、恭祐様も同じなのだろうか?
それはないだろう……恭祐様はいくらでも相手を選べるのだから。今回はあのような女性だったけれども、もっとすばらしい女性が恭祐様の隣にあるべきなのだ。それに、どんな女性と夜を過ごされようと、わたしには関与するべきことではない。
そう思い直して、すべての仕事をやり終え、作り置きの料理を冷蔵庫にしまうと、わたしはエプロンを外してリビングに向かった。
「すべて終えました。何かまた入り用のものがございましたら買って参りますが……あの、コーヒーでもお入れしましょうか?」
昼食にとお出しした簡単な料理も手付かずのままテーブルに残っていた。
「ゆき乃……なぜそんな、平静な顔をしていられるんだ?責めたり、取り乱してくれる方がよほど気が楽だというのに……」
「何か他に食べたいものがありましたら……」
「欲しいのは……」
「はい」
「今でも、ゆき乃だけだ……」
「……」
信じられない言葉だった。
「ふっ、異母妹に何を言ってるんだろうな……食べるよ、せっかくゆき乃が作ってくれたのだから……」
冷め切ったそれに箸を付けはじめる恭祐様は、それきり何も話されなかった。



「では、帰ります」
「今から?」
「はい、夜行のキップを買っておりますので……」
「もう……来るな」
予想通りの言葉だった。
「妙さんには無理ですから、わたしが来ることになると思います。わたしの代わりですと、チヅさんしか……」
恭祐様は困った顔をした。
チヅさんはお館様の相手をしていながら、何度か恭祐様に迫っているのを知っていた。いつもは上手く恭祐様も逃げておられるけれども、お館様の意向でもあるのか、いつもそれは堂々とされていた。
ここに来れば、お館様の思う通りの展開に運ばれるのは目に見えている。
「週末……」
「ん?」
「力也くんに誘われています」
「な……に?」
「時間があったら出掛けようと……」
「ゆき乃……」
「恭祐様がお頼みになられたんですよね?自分が居なくなったらと……」
「あ、ああ……」
「ここに来れば、ゆき乃はその誘いを断ることが出来ます」
恭祐様は無言だった。
「では、来週か再来週また参ります」
そう告げて、部屋のドアを出ようとした瞬間、恭祐様は上着を掴んで送るとおっしゃられた。


無言で駅へと向かう。
駅の改札の手前で、恭祐様は立ち止まられた。
「ゆき乃……」
その手がわたしの腕を掴む。
「週末に、おまえがここに来ることで、藤沢の元に行ってないと判るなら……僕は半分苦しまなくて済む。ゆき乃が来ればもっと苦しむのは判って居るけれども……」
「はい……」
わたしも同じだった。
わたしがあの部屋にいる間は、恭祐様の周りから女性の影が追い払えるなら、たとえどんなに苦しくても、側にいたいと思ってしまう。
「ゆき乃は、まだ、藤沢の……モノではない?」
わたしは頷く。
今は確かに、わたしは誰のものでもない。
「自分がこんなにも俗物的な男だったんだって、よくわかったよ……自分は勝手なことをしておきながら、ゆき乃には……。僕は、強くなんて無い。いっそ……深い過ちを犯しても、自分の想いに正直でありたいと、願うときもある」
その目は……わたしを求める時の目。そんな眼差しを恭祐様は既に他の女性に向けたんだろうか?
「それは……いけません。どうぞ、恭祐様にふさわしい女性をお捜し下さい。ゆき乃には何も出来ません。ですが、あのような女性はおやめ下さい。本当に恭祐様を思ってくださる女性をその腕で……どうか……」
本心ではない。
本心ではないけれども、そう言うしかない。
わたしは恭祐様の腕を振り切り、夜行列車の待つプラットホームに逃げるように駆けていった。

      

恭祐様、また評判が落ちるだろうなぁ…
だって妹で手出しちゃだめ。都会に出ればいくらでも女性が寄ってくる。お酒に溺れてますしね。こんな状態でやけにならない方がオカシイのではと…
余談ですが、恭様、年上の先輩と経験済みですw
ふっふっふ〜
次回暴力的なものや近親相姦に嫌悪感をお持ちの方はお避け下さいませ。