風花〜かざはな〜

屋根裏の小公女は夢を見る
いつかきっと幸せになれると……
不幸なのは自分だけではない
食べるものの着る物も困らない
雨露をしのげる部屋もある
だから待っていればきっと
幸せは戻ってくる



けれどわたしは夢のみかたも、戻ってくる幸せもはじめから知らなかった


『ゆき乃、今日からここがおまえの住むところだ』
ばあちゃんが死んだ夜、長いコートを着た男の人がわたしを引き取ると言って、おばあちゃんのお葬式が終わるとすぐにわたしは大きな山の手のお屋敷に連れて行かれた。
6歳の冬、海に落ちる雪が風花になって舞う日、生まれてから馴染んだ村と家に別れを告げていた。



「何もこんなにすぐに連れて行かなくたって、うちだってゆきちゃんのことちゃんと見てあげれるんだよ?」
おばあちゃんのお葬式が終わって迎えが来るまでの間、隣のおばちゃんがそう言ってくれた。長屋の隣のばちゃんのとこには、平太と言って同い年の男の子もいて、将来お嫁さんになってくれるんなら引き取るとまで言ってくれたのに……
そのトレンチコートの男の人は立派な口ひげを生やしていて、大きな車に運転手さん付きでやって来た。
「ふみもとうとうくたばったか……」
ばあちゃんのことをそんな風に言ってわたしをじろじろと見つめた。
「まさかな……娘がいたとは、名はなんという?いくつだ?」
わたしは怖くて答えられずに居たら、後ろからおばちゃんが山の上の宮之原のお館様だから粗相がないようちゃんと答えなさいと言ってきた。
「三原 ゆき乃、6歳です、お館様」
子供ながらにもしっかりと答えられたと思う。
母親が早くに父なし児のわたしを産んでなくなってしまった後、ばあちゃんに育てられた。わたしは縫い物で稼いでくれるばあちゃんを助けていろいろと家事をする、子供ながらに出来た子だった。隣のおばちゃんも、庄屋のおじちゃんもわたしをうちに欲しがった。いい働き手になると……そして、将来が楽しみだと、幼いわたしの顔をじろじろと見つめた。
わたしの死んだ母はずいぶんと綺麗な女だったそうだ。さあこれからという時にわたしを身ごもり、産み、そして静かに死んでいった。海女をしていた母に言い寄る男は多く、わたしの父親がいったい誰だったのか未だにわからない。
「志乃の面影があるな……」
わたしの顎をぐいっと掴んだお館様は母の名を口にした。
「母さんを知ってるの?」
「ああ、よく知っている……おまえの祖母はわたしの父の妾だった。その連れ子の志乃もよく知っている。まあ、それも縁だろう。たまたま今日わしが庄屋の所に用事で立ち寄って、ふみの葬式に出くわしたのもなにかの縁だ。ゆき乃、おまえはうちに来るがいい。住む場所と食べるものには困らぬはずだ。遠縁として教育も受けさせてやろう。庄屋もそれに依存はあるまい」
有無を言わさぬその言葉にわたしの行く末は決まってしまっていた。



「おまえのことは、このメイド頭の妙に任せている」
わたしはめがねをかけて白いエプロンを付けた年配の女の人に渡された。
山の上のお館は、長い坂を車で上ってようやくついた洋館だった。この辺りには珍しい洋館仕立ての建物で、壁は石づくりで重々しい雰囲気と華やかな気配を備えたお屋敷だった。
広い入り口を入るとそこにはお館様を待ち受ける召使い達が並んで待っていた。
わたしがこうして迎えられるのは後にも先にもこのとききりだったけれども、わたしは子供心に一瞬自分がお嬢様になったような気になったものだ。明日からは迎える側に立つというのに……
「ここがおまえの部屋だよ」
連れて行かれたのは屋根裏の小さな部屋だった。それでもベッドと机らしき物はあった。小さな小窓からは正面玄関から門までの小道と広いお庭が全部見ることが出来た。
それだけでわたしはこの部屋がすっかり気に入ってしまったのだ。今までは長屋は平屋建てで、こんな高いところから見る景色は、海の崖の上以外では初めてだった。
「下に女中部屋もあるんだけれどもね、おまえはある事情でそこには入れないんだよ。けれども、いいかい?自分の部屋の掃除は自分ですること、子供でも下働きには違いないからね、朝は5時に起きてみんなの仕事を手伝うんだよ。それと、来年から学校にも行かせてもらえるそうだから、来年からはそれにあわせて仕事をすること、学校に行く限りはこの宮ノ原家の名を汚さぬよう躾と作法だけはきっちり仕込むので覚悟しておきなさい。それでは呼ぶまでは部屋にいてよろしいから片づけていなさい」
子供相手でもきっちりと話す女中頭の妙は厳しい口調でそう言うと部屋を出て行った。


残されたわたしは少ない荷物を片づける。
どれもが洋風で、わたしにとっては嬉しくなるような物ばかりだった。鉄パイプのベッドには薄いけれども布団が一組、ちゃんと洗濯したシーツが掛けられていたし、シンプルだけど机と椅子もある。小さな電球だけど電気も通ってるみたいだし、小さな小折が置いてあったのでそこに持ってきた数少ない洋服を詰めた。
わたしの荷物はそんな身の回りの物と、母さんとばあちゃんの写真だけ。
わたしはもう居なくなってしまったばあちゃんの温もりを思い出しながら、写真を胸にベッドに身体を横たえた。
「ばあちゃん……ばあ、ちゃん……」
たった一人の身内だった。嵐の夜は同じお布団でぎゅってだきしめてくれた。母さんの記憶はあまりなくて、わたしを可愛がってくれたのはばあちゃんだけだった。隣のおばちゃんは優しかったけど、村のみんなは「妾」をしていたばあちゃんは村人からは蔑まれていた。その娘は父なし児を産むし、その「ふしだらな血」はわたしにも受け継がれているらしい。わたしと遊んでくれるのは隣の平太ぐらいだったから……


         『ばあちゃん?朝なのに起きないの?』
何度揺らしても目を開けて起きあがってくれないばあちゃんを前にわたしはじっと1日そのままで過ごした。触っても冷たくて、一緒のお布団に潜っても全然暖まらない。いつだって寒い夜はこうやって眠れば暖かくって、寂しくないのに……
『ゆきちゃん?ふみさんどうかしたの?』
家から一歩もわたしが出てこないのを心配した隣のおばちゃんが翌朝覗きに来た。
『ばあちゃん動かないの……冷たくて、ぜんぜん暖まらないの』
『ゆきちゃん……』
おばちゃんは近づいてくるとわたしをそっと抱きしめて
『おばあちゃんはもう起きれないのよ』って言った。        

冷たいベッド、もうこれからはずっと一人で眠らなきゃならないんだ……
『ばあちゃん……ううっ、うぐっ……』
わたしはばあちゃんが死んでからはじめて泣いた。涙と嗚咽は止まらなくて、だんだんと意識が遠くなっていった。わたしは起こされるまで、そのままベッドで眠ってしまっていた。



「おまえ、だれ?」
揺すられて目を開けるとそこには綺麗な顔立ちした少年がベッドの側に立ってわたしの顔をのぞき込んでいた。綺麗に整えられた黒い髪にちょっと茶色がかった瞳、子供にしては大人びて見える顔立ち、上質な白いシャツに半ズボン、どう見てもおぼっちゃまな服装はたぶんこの家の子供なんだろうと思った。と言うことはあのお館様の息子。
「わたしはゆき乃……今日からこの部屋つかえって……」
「そっか、この部屋、ゆき乃が使うのか……」
「……いけないの?」
わたしはベッドから降りようとしたらその子はわたしの隣にすとんと腰掛けた。
「いけなくないさ。でも僕もこの部屋の窓から空を見るのが好きなんだ。内緒だけどここから屋根の上にでれるんだよ」
「ほんと?」
「ああ、だからたまに僕がこの部屋に来ても怒らない?」
「怒るも何も……ここはあなたのお家なんでしょう?わたしに文句は言えないと思うの」
そっかといってその少年は屋根裏部屋の小窓を開けた。
「おいで、こっちだよ」
少年は窓枠に足をかけて外に出るとわたしを呼んだ。わたしは急いでその手を取って同じく窓の外に出る。
「うわぁ……」
もう外は日が暮れ始めていて、橙色に染まりはじめた空は頭の上に広がった。
「ね、すごいでしょう?ゆき乃、ここは僕たちだけの秘密の場所だからね」
「はい、ぼっちゃま」
「ぼっちゃま?」
「違うんですか?」
「なんだかおまえにそう言われるのはね……僕とあんまり変わらないでしょ?僕は恭祐、7歳、初等科の1年だよ。ゆき乃は幾つ?」
「6歳よ。来年から学校に行かせてもらえるそうなの」
「ふうん、そう……じゃあそれまで、僕が時々勉強教えてあげよっか?」
「ほんとう?」
「ああ、僕も学校に行くまでに先生がついて色々勉強させられたよ。だからおまえにも教えてあげるよ。じゃあ、約束」
屋根の段差に腰掛けて二人指切りをした。
「その代わりに、ここにいつ来ても構わない?」
「うん、もちろん」
わたしは嬉しくて、自然と笑っていた。さっきまで一人だと泣いていたのに……
この方がぼっちゃまなら、わたしはちゃんとお仕えすればいいんだ。
この優しい方に一生……
自分の立場だけはしっかり理解していたわたしは、そう心の中で強く決めたのだ。


その気持ちがいつか別の物になるなんて、ちっとも気がつかずに、ただ、純粋にそう思っていた。

        

とうとう連載開始してしまいました。見切り発車ですね〜(汗)いっそのこと書ききってから連載したかったけど、そんなことしたら、半年ぐらい先になりそうです。(笑)親友も半年かかりましたからね〜
出来ればそこそこのペースで書いていきたいので、皆様お付き合い下さいませ。
行き詰まったら、たぶんほかの(明るいの)を書くと思いますが…(笑)