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社会人編

58

甲斐〜卒業式その後

「あー、大変申し訳ないが……」
邪魔なヤツ……咳払いと共に、あの男が近付いてくる。オレは自然とそいつを睨み付けていた。
「中学校の校庭ではそこまでにしてくれないか?まだ生徒も保護者達も残ってるんだ」
腕の中で志奈子が藻掻く。まあ、立場的に悪いよな?けど、今は邪魔されたくなかった。
「続きは後で思う存分やってくれ。このあと職員会議があるから、それまではお預けだ。甲斐くん」
なんでこいつに甲斐くんって呼ばれなきゃなんないんだ?
「日高先生、でしたよね……おめでとうございます、ご結婚されるんですね?正岡先生って方と」
オレはムッとしたままそいつに話しかけた。
「ええ、ですから安心して校門の外で待っていてもらえませんか?」
くそ……こいつのほうが、よっぽど大人だ。
メールの内容から、こいつは志奈子のお腹の子の父親になろうとしたらしいこともわかっていた。それも優しさからだったのか?でなきゃ嫁になる女と前の彼女が仲良くしてるっていうのもおかしいもんな。一枚も、二枚も上手……よくこの男を選ばなかったと志奈子に感謝する。普通、こっちのほうが断然いいよな?くそ……負けてるのは悔しいが、今はそんなこと言ってられない。
「待ってていいんだよな?」
そう言って身体を離すと、志奈子は頷いてくれた。
「後で……連絡するから」
「わかった。オレのアドレスあいつらに送らせるから」
耳元で囁くと、志奈子のカラダがビクリと反応する。相変わらず耳が弱いんだな。ったく、ちょっと唇が触れただけなのに……
『馬鹿……そんな顔するな。キスしたいの我慢してるのに』
こっちが我慢効かなくなるだろ?本当にオレをその気にさせるのがうまい。オレはいつだって志奈子が欲しくてたまらないのだから……
再び頬を撫でて離れると、翔平の彼女が志奈子に抱きついて喜んでいた。
いい子じゃないか。翔平も大事にしているみたいで愛しそうに彼女の方を見てる。おまえは間違うなよ?オレみたいに……
「よかったな、甲斐さん」
そう言うと、彼女の腕を取って志奈子から引き離した。
よし、こいつらには約束通り奢ってやるか。翔平のところは親が来てないって言ってたし、彼女の親も先に帰ったようだから。

オレは二人がオススメだという洋食屋へ連れて行き、思う存分奢らされた。まあ、二人ともよく食うのな。そういうところは子供っぽくってかわいいからいいけど。
それにしても……
「おい、まだ食うの?」
「いいじゃん、甲斐さん奢るって言ったし」
「そうだけどさ……樹里ちゃん、そんなに甘い物ばっかり食べて平気なのか?」
彼女の前にはパフェやケーキが数種類並んでいる。時々翔平が横から手を出してはいるけれど、全部食べる気なんだろうか?
「いいんでーす!だって、なんか……わたしまでうれしくなっちゃって。でもね、先生に悪いことしたかなって思ってたの……勝手に携帯覗いたりしたし。甲斐さんをホントに信じていいか謎だったし?翔平が甲斐さんに協力することが志奈子先生の為になるって言ってたから、やったけど……」
「あー、悪かったね、ほんと。いいよ、好きなだけ食べて」
「やった!」
無邪気なもんだ。だけど、オレはこんな子供達に助けられたんだ。こいつらは中学生でもちゃんと人を好きになることを知っている。自分の想いを伝える術を知っていたんだ。まったく、今までの自分を恥じるばかりだ。今までちゃんと言わなかったから、志奈子にはほとんど伝わってなくて……ずっと誤解させて苦しめてきた。
「甲斐さんさ、どうしてオレなんかに先生のこと話したの?イイ大人がさ、情けないっつーか。まあ、おもしろいおにーさんだなとは思ったけどさ」
翔平がカルボナーラを平らげて、次のサンドイッチにパクつきながら聞いてくる。あと唐揚げとかソーセージとかが手付かずのままめいっぱいテーブルに乗ったままだ。食えるのか?ほんとに。
「そうだな……おまえさ、ちょっと冷めてるとこあったりするくせに、誰か側にいないと寂しい方だろ?」
「え?う、うん……」
「オレもそうだったんだ。誰か側にいないと寂しくて、だれかにちょっとでも必要とされていたかった……親には必要ないみたいに思われてるって感じてたからさ」
「……あーなんかわかる」
翔平が納得して頷きながらフォークを置いた。
「最初、ファーストフード店で友達としゃべってるとこ見ててさ、なんかオレと似てるなぁって思ったんだ。だけど実際話してみて、おまえのほうがしっかりしてた。親のこともちゃんと理解してるし、カノジョだってちゃんと気持ち伝えて大事にしてる。オレとは比べものにもならなかったけどな」
「で、そんなオレに弱音吐いちゃったわけ?」
「そう、みたいだな。まさかここまで助けられるって思わなかったけど」
もし、こいつらがいなかったら……オレは朱理と、志奈子は日高と結婚したと互いに思いこんで、無駄な一生を過ごしたかもしれない。志奈子は子供ができているというのに、ひとりで産み育てるつもりでいたというのに。
「オレもさ……なんか見せられた気がしたよ。なんとなく誰かと付き合って、いい加減にやってるとあんたみたいに後悔すんのかなって……けどさ、今好きならちゃんと好きって言わなくちゃいけないんだよな。本当に好きな相手逃してからじゃ遅いんだって勉強させてもらった。それに必死になってるあんた見ててさ、なんとかしてやりたいって思ったよ。志奈子先生のことも……こいつが、大好きだしね。相手が日高っちでも良かったんだけどさ、なんか必死さはあんたのほうが上だったから」
くそ、そういう認識かよ……
「ありがとうな……ほんと感謝してる。飯ぐらいじゃ足りないぐらいだな」
「そう思うんならさ、そっち行ったとき面倒見てよね?遊びに行くからさ」
「え……おまえ来るの?」
「だってさ、色々興味あるじゃん?大学はそっちに行こうと思ってるし」
「わたしは専門学校!決めてるんだー、ショーヘイについてくって」
「おいおい、気が早すぎないか?」
呆れるオレをよそに、ふたりは最後にはぺろりと注文分を平らげてしまった。途中まで車で送ってやるとごちそうさまと言って仲良く手を繋いで帰っていく。
この後どこに行くんだか……翔平が俺の車が動きだした後、彼女を引き寄せているのがバックミラーにちらりと映っていた。
もし、高校時代に戻れるなら……あんなふうに、付き合えばよかったんだよな。抱いたあとでもいい、素直に『好きになった。付き合おう』そう伝えればよかったんだ。
もう、遅くてやり直せないけど、まだオレたちには『今から』がある。
志奈子と、お腹の子供と一緒の未来が……

志奈子から連絡があって、近くのショッピングセンターの立体駐車場に移動した。ちょっと癪に障るけど、あの男の車で送って来てもらうらしい。
「志奈……え?」
車から降りてきて、オレの目の前に立ちはだかったのは、日高だった。
「くっ」
思いっきり拳で殴られた。体格はがっしりした体育教師だ。オレは吹き飛ばされ、駐車場のコンクリの上の転がった。
「これは彼女を泣かせたぶんと、心配させたオレたちの怒りの一発だ。まあ、一発で済んだと思って喜べ。ここに智恵が……オレの婚約者がいたら、おまえのそのきれいな鼻が潰れてるぞ?」
オレたちというのは彼女の婚約者も含まれるらしい。こんなのを二発も喰らうのは勘弁して欲しい。
だけど、殴られて当たり前のことをオレはした。別れたはずの彼女を無責任に避妊もせずに抱いて、子供まで作っておいて……あの中学生の二人がいなかったら、何も知らないまま、志奈子ひとりに子供を産ませて育てさせることになっていたのだ。
このふたりがいなければ、志奈子はもっと苦しんでいただろう。頑なだった志奈子がはじめて人を頼り、悩みを打ち明け、相談していたのだ。それは志奈子にとって一番大きな変化だったかもしれない。それに、母親になって初めて親の気持ちがわかったという。あれほど拒否していた母親のことも許す気になり、それどころか、その母のもとへ行き、子供の事を相談したという。
オレも……親父に母親のことをきかされ、ようやくなにもかも許せると思えたんだ。親父の気持ちも、わからなくはなかったから……オレだって、結局同じ轍を踏もうとしていたのだから。
しかし、かなり過激な人なのか?その、正岡って先生は。会って謝らなきゃいけないだろうけど、コイツよりも怖そうだ。だけど、本当は殴られて少し楽になった気がした。自分を責めてもきりがないから、こうやって誰かに叱られた方がずっと気が楽になる。
オレは頭を下げて『ありがとうございます』と、これまでの全てのことと、殴ってもらえたことに感謝の意を表した。結局はこの人たちがいなかったら、あいつらがいなかったら……オレたちは自分の力で誤解を解き、互いを選ぶことができなかったかもしれないのだから。
「わかってるなら、大事にしてやれよ。なんかあったら、おっかないのが飛んでいくからな?」
おっかないの言葉に、すぐさま朱理の顔が思い浮かんだ。あいつは志奈子がいなくなってから、ずっとオレを責めるんだ。ちゃんとしなかったオレが悪いって……
「こっちにもおっかないのがいますよ。志奈子のこと凄く心配してるよ、朱理のやつ」
「氷室さんが?」
「ああ、もうすぐ産まれるんだ。会ってやってくれるか?あいつは、自分じゃ志奈子の友達のつもりでいたんだぞ?」
まさかオレの相手だと疑われてるなんて塵ほども思ってなかっただろうけど……また荒れるか?けど連れて帰ったら、それも免除されるだろう。一発ぐらいはビンタ食らいそうだけど。
「それは安心だ。すぐ側にそうやって見張ってくれる人が居るなら。そうでなきゃ心配で、あんたみたいなヤツのとこにやれないからな」
朱理の存在に安心した日高にそう言われたけれど、悪い気はしない。こういう人だから、志奈子は救われたのだ。
「志奈子が手にはいるなら……戻ってくれるなら、どんな扱いを受けてもかまいませんよ。そのぐらいの覚悟はしてます。一人で大きな決心をさせてしまったのだから……」
志奈子が子供を産もうとするその決意のことを考えると、謝っても謝りきれない。そのときに支えてくれたのは間違いなくこの男とその婚約者なのだから。

日高が帰っていったあと、陽の落ちた薄暗い駐車場で、オレたちは向かい合っていた。
「志奈子、ごめんな……勘違いといえど、長い間辛い思いさせて」
ごめんな、ありがとうと、言葉を尽くしても足りない分、自分の手を差し出す。この手を取って欲しい。そしてずっと一緒に歩いていこう。もう、離すことはないから。
「わたし、幸せだよ……」
泣きそうになりながらも、キレイに笑う志奈子にオレは違うよと声かけた。
「これからは、もっともっと、幸せになるんだ。オレたち……」
そう、オレたち……お腹の子も一緒に幸せになるんだ。オレたちが欲しかった暖かな、愛情あふれる家庭。おかえりと、誰かが待っている家。食卓には暖かな食事が並ぶ。母親がいて、父親がいる当たり前の……居場所を。
「愛してる」
引き寄せて抱きしめる。さっき殴られた口元が痛むけど、軽くキスを交わす。
わたしもと、志奈子が答えてくれる。
「話なさなきゃならないことが、ありすぎて怖いよ」
最初から話さなきゃならないだろう。最初に抱いた時から惹かれていたこと。離れられなくなった理由も全部……それは志奈子が好きになったから。そのことになかなか気づけず、彼女をセフレ扱いにしてしまった。
何度も抱きたくなる……その時点で他の女達と違っていたはずなのに。
色々話さなきゃ……そして聞かなきゃいけない。志奈子が今まで何を考えていたのかを……だけど。
「その前に、手出したらごめん」
志奈子は答えない。そう……だよな。赤ちゃんいるんだし?抱いたら、まずいよな……だけど、我慢はできると思う。今まで誰も抱かずに来た。目の前にいて抱けないのは辛いけど、抱きしめて眠るだけでも……その気になったときは、自分で抜くしかない。
「少し、だけなら……」
はにかんでそう答える志奈子が愛しい。同じ気持ちだと思いたい。ふたりどちらもが必要で大切で欲していることも同じだと。
「志奈子の部屋に行っていいか?」
頷く彼女を車の助手席に乗せ、シートベルトを締める前に志奈子に口づけた。
「週末には親父と朱理に会いにいこう……それから志奈子のご両親のところにも。お母さんとも、ちゃんと話せるようになったんだな?」
「うん……赤ちゃんも産んでいいって、一緒に育てようって言ってくれたの」
余程嬉しかったのだろう、泣きそうな顔で笑ってみせる。そんな決意をさせたのもオレが不甲斐ないからだ。謝らなきゃいけない、そして感謝しなければ……志奈子を産んでくれた母親に。オレに彼女という存在を与えてくれたその母親に……
「そっか、じゃあ子供ができたら、たまには週末に志奈子の実家に連れて帰らないとだな?」
「ありがとう、甲斐くん」
すでに志奈子の実家には彼女とその子の部屋が用意されているらしい。そのことを嬉しそうに話す、その顔は素直な娘の顔をしていた。


志奈子の部屋は、彼女らしいシンプルで飾り気のないワンルームだった。部屋の端には段ボール箱が数個。
「引っ越す用意してたのか?」
「うん……」
実家に帰るつもりだったのだろう。向こうも当然そのつもりだろうけれど、出来ればオレのところに帰ってきて欲しい。あまり強くは言えないけれども……
「帰って来てくれるよな?オレのトコに」
志奈子の返事がなかった。ダメなのか?
「誰も……いないよね?」
「なに言ってるんだよ!いるわけないだろ?」
「だって、もし他のひとが……」
「あの部屋には志奈子以外の女はいれてない。部屋だって、おまえが出て行った時のままなんだぞ」
「ほんとに……?」
「ああ、ほんとだって」
「……帰ってもいいの?」
志奈子が帰るという言葉を使ってくれたのが嬉しかった。あの部屋はふたりの帰るべき家なんだ。
「帰ってきてくれよ……頼むから」
「仕事ないよ?貯金もそんなにないし、それに……えっちもあんまりできないけど?」
オレは脱力する。まあ、志奈子のこの遠慮癖は今に始まったことじゃない。根本から直してもらわなきゃだけど……その為には、しばらく実家に帰って面倒見てもらったほうがいいのか?普通に付き合うところからやり直した方がいいだろうけど、それはオレが嫌だ。もう……一時だって志奈子と離れていたくない。向こうの親御さんには申し訳ないけどさ。
ちゃんと、身体だけじゃないってこと、わかってもらわないとだめだ。
「オレたち、ほんと……話し合わなきゃだよな」
「……うん」
「オレはきっと志奈子に甘えて我儘を言うと思うんだ。だけど、ダメなことはダメだって言ってくれ。言ってくれないとオレにはわからないから。遠慮せずにオレに甘えて我が儘言えよな?これからもっと身体いうこときかなくなるんだから、オレを扱き使って振り回してくれてかまわないから」
「え……甲斐くんを?」
驚いた顔をするな。一緒に生活するってそういうことだろう?オレは志奈子にだけ家事をさせるつもりはない。そりゃ仕事するのがオレの役目だとしても、家事もできる限り分担しなきゃ。でないと、また志奈子は自分のことをそれだけの人間だと思いこんでしまうかもしれないから。
「着替えておいで……いっぱい話をしよう?」
オレは上着を脱いでネクタイを外し、唯一座れるベッドの上に腰掛けて、彼女が戻ってくるのを待っていた。

その夜、オレたちはずっと寄り添って、身体のどこかしらを触れ合わせていた。話す間も、食事する間も……さすがに一緒に風呂へ入るのは拒否されたけど。志奈子の狭いシングルのベッドに寄り添うように抱き合って、志奈子の匂いを感じながら、キスを繰り返し、少し熱くなる身体を押さえ込んで……色んなことを話し続けていた。最初に志奈子を抱いた時、彼女は初めてでありながらあんなことをして、感じてしまったことを、母親のように淫乱だからと自分を卑下していたこと。オレには他にカノジョがいて、自分みたいな魅力がない女の身体にどうして執着するのかわからなかったこと。そして、好きになればなるほど側にいるのが辛くて離れたこと……全部、オレの言葉が足りなかったせいに思えた。
オレは……まじめな委員長がオレみたいなタイプを相手にしないと思っていた。彼女の中にある拒絶を、揺るがないものだと勘違いしていた。それを手に入れたいと思っていたことに自分でも気付いていなかったんだ。周りにいる女たちみたいに、男に夢中になって堕落したりしないってたりしないと勝手に思い込み、一旦手にすると夢中になって……簡単に欲しがったり落ちたりしない彼女の中に、たぶんオレを置いていなくなった母の姿を重ねて、求め奪い縋り依存していたんだと思う。
そして、彼女を知れば知るほど、似ている部分を見つけた。自分と同じ境遇、欲しいと思って諦めてきた感情。言わなくてもわかる感情の共有。抱けば抱くほど離せなくなっていったその理由に、カラダ以外のモノがあったことに気付きもしないで……
そう、オレは志奈子にずいぶん前から惹かれていたんだ。でもなけりゃ、あんなところで、あんなシュチュエーションになったからといって、バージンの女を無理やり抱くか?志奈子だって……オレの事。でなきゃあのとき、いきなりオレに何もかも許したりしないだろ?あの時点で、志奈子もオレも互いを欲しがっていたことに気付きもせずカラダを重ねてしまったんだ。志奈子がオレだけに出す色香に狂わされていたんだと思う。オレだけが感じる志奈子のフェロモンみたいなもの。それは、きっとオレに対してしか出さない合図、オレになら、抱かれていいと身体が先に出していた答え。
でないと、互いにあれほど溺れるだろうか?あっという間に志奈子の身体にのめりこんだオレは、自分の理解しがたい感情を、言葉に出さないことで目を瞑り逃げようとしていたんだ。
オレ自身も出していた答え……志奈子が好きで好きでたまらないってことに。
互いにどこか似たものを持っていた。黙っていてもわかりあえた。だけどそれは気がしただけ。本当の気持ちなんて、ちゃんと言葉にしなければ伝わらないことを学んだんだ。

それでも……身体を寄せれば互いに欲しくなる。
「……しないの?」
彼女がそう聞いてきたけど、隣との壁も薄いらしいし、今日はそのまま何もしないつもりだった。明日はオレも仕事だから、間に合うように帰るためには朝も早くに出ないといけないし……志奈子だって月末までは学校に行かなきゃいけないだろう。
「志奈子は……したい?」
意地悪な質問だと思う。志奈子がそんなこと口にするはずもないのに。もちろん、オレはしたいさ。志奈子の身体のことを考えると、やめておいた方がいいのもわかっている。ただ、こうやって身体を沿わせていれば、自然と下半身は勃立してくる。志奈子の肌、感触、匂い……すべてがオレを煽る。
手に入った喜びをかみしめても、実際それで心は満足しても身体は、な。わかっているだけに我慢もそこそこ辛いんだ。
「……して」
「え?」
信じられない言葉だった。志奈子が自分から強請ってくるなんて……
「甲斐くんのもとに帰ってきたって、実感させて?」
「……大丈夫なのか?赤ちゃんとか」
「激しくしなければ大丈夫だって……」
オレも一応はネットとかで調べてきた。深い挿入はだめとか、胸への愛撫もあまりよくないとか。
今我慢しても、それはしばらくどころか産まれるまで続くわけだ。
抱いていいのか?それなら……大事に抱くから、オレを受け入れてほしい。
「壊しそうで……怖いよ」
「嫌かな……お腹とか出てきてるし、元々そんなにスタイルもよくないし……」
「違う!大事なんだ……志奈子も、子供も。だから……」
そんなもの気にするか!ただ、お腹の子に無理させてはいけないってことだ。
確かに、己の欲望だけで抱くのが怖かった。だけど、抱くことで志奈子が信じてくれるなら抱きたい。オレの身体はずっと志奈子を欲しがっているのだから。
心の中の全てを話すことで、繋がる以上にお互いを手に入れたことを実感していた。違う意味での深い充足感はあった。それなのに、意識してしまうと身体はすぐに暴走する。志奈子のナカを思い出して、ずっとオレの半身は昂ぶったままだ。
「志奈子……ほんとに、抱いていいのか?」
「うん……お願い」
お願いされて断れるはずがない。オレだって抱きたくてたまらないんだ。
「大事に……抱くから」
オレは志奈子の手のひらに口づけると、そっと仰向けに寝かせ、お腹にのし掛からないよう気を付けながら深く口づけた。

全身にキスを送った。特にお腹のあかちゃんにはいっぱい挨拶しておいた。少し変わりつつある志奈子の身体も愛しくてたまらなかった。母親の身体になった志奈子はそれでも相変わらず敏感で……そっと触れないと怖かった。
「志奈子……」
「んっ、はぁ……ん」
久しぶりに繋がる彼女のナカの快感を味わった。志奈子自身もかなり感じているようだった。無理しなくても、激しくしなくても、すでに感じまくっているお互いの身体。激しく腰を使ったりせずまったりと味わっていた。それだけで、切なくて気持ちよくて、すぐにでも果ててしまいたいほどいいのに、それがもったいなくて腰も使えない。たまらなくて、互いに焦れて、そのぶんいっぱいキスして、それだけでいきそうになってまた唇を離すのを繰り返す。
「志奈子、好きだよ……ずっと、離れてて、苦しかった……」
「わたしも……ほんとは、ずっと一緒にいたかったの」
動けない分、口内で激しく絡み合う。志奈子のこんな積極的なキスははじめてだった。彼女の下半身も……次第に蠢きはじめる。
「甲斐くん……好き」
「ああ、オレも……」
「もう、離さないで」
「離す、もんかっ!」
最後は、引き抜いて志奈子のお腹の上にたっぷりと吐き出した。そのあとも我慢できなくて、また志奈子の中に……だけど動けないのがもどかしくて、最後は張りつめた下半身を志奈子のそこに擦りつけて果てた。そして、ふたり抱き合って何度もキスしながら朝まで眠った。



『ほんとなの!?だったら、どーして連れて帰ってこなかったのよ!』
翌朝出社してすぐに、朱理に志奈子のことを報告したら、ケータイ越しに耳元で叫びやがった。大丈夫かよ、腹の子。そろそろ9ヶ月目に入るとかいってるのに、大変なんじゃないのか?
「しかたないだろ、どっちも仕事だって……それに、月末にはオレんとこ越してくるから、そのとき会えばいいだろ?」
そのために急遽休みも取った。ほとんど荷物はまとまっているらしいけど、その行き先を彼女の実家からオレの部屋に強引に変えさせた。元々大きな家具は全部備え付けらしく、引っ越屋を頼むほどではないらしい。だけどいつの間にか、あの体育教師が実家の軽四トラックを借りてきて、こっちまで荷物を運んでくる事になっていた。……もちろん日高の婚約者も一緒に来るという。余程オレは信用されてないんだろうな。
その上、朱理まで来るとなれば、オレはかなり分が悪い。全部志奈子の味方ばかりじゃないかと思う。
「水嶋さん、志奈子の引っ越しの手伝いに来ない?」
「なんでオレが?」
水嶋さんがニヤニヤ笑ってるけど……言えないよなぁ、朱理には。まさか自分がオレの相手だと勘違いされていて、志奈子が出て行った直接の原因だったってことは。
「朱理も来るって……けど、あいつにはまだ全部言ってないし……聞いたらあいつ興奮しそうだしさ」
「まあ……タカさんが行けなかったら考えるけどさ」
せめて親父でもいい……来てくれと願わずにはいられなかった。でないと、あれを誰が制御するんだ?正岡って先生は取り敢えず日高がいればなんとかなるだろう。いや、なんとかしてもらわないとオレがかなり危険だ。


「あんたが、甲斐?」
引っ越し当日、いきなり睨まれた。さすが、日高が言うだけあって、ただの女じゃないな、この眼光というか迫力。いいのか、こんな怖い嫁さんもらって……
「智恵先輩、ちょっと落ち着いて……」
「あんたはいいわよ!もう一発殴ったんでしょ?わたしはまだなんだからね!」
本気でオレを殴る気らしい。
「正岡先生……」
志奈子が彼女の腕をとって落ち着かせようとしていた。
「わかってるわよ……自分も悪かったって言うんでしょ?……じゃあ、わたしの一発は、この先、志奈子先生を泣かせたとき用に取っておくから。いい?甲斐史仁」
呼び捨てかよ……まあ事情が事情だから文句も言えないけど。
「この先なんて、絶対にないですよ」
「ならいいんだけど。ほんと問題起こしそうな顔してるわねぇ」
顔のことまで散々だ。だけどオレに逆らう術もなく……志奈子の部屋から荷物を運び出した。車が別々だったのが幸いして、取り敢えずオレの部屋に着くまでは久しぶりに志奈子とのドライブを楽しんだ。オレの車の助手席に彼女がいることが嬉しくて、にやけるのがやめられなかった。
そして、荷物の片づいた頃に親父と朱理が来て、部屋で鍋でもするかってことになった。
久しぶりに志奈子がオレの部屋の台所に立っていた。オレはそれが嬉しくて、何度も側に行って構おうとしては邪魔者扱いされていた。台所じゃ女3人でかなり会話が弾んでいるらしい。それに比べて男3人って……どうしようもない。日高もさすがにオレの親父みたいな元ホストのお水臭漂う相手にはどう接していいかわからず、夕方に水嶋さんが合流するまで、ひたすら気まずい雰囲気が漂っていた。
それでも、親父は変わった……朱理の身体を気遣い、デレデレするわ、惚気るわ。いい歳こいたおっさんがって思ったけど……同じ父親になるんだと思ったら、やけに親近感が湧いてくる。
「なあ、親父……自分の子供ができるって不思議な気分だよな」
「まあな、それも惚れた相手が、産むって言ってくれてんだ。これ以上の幸せはないだろ?それはおまえの時もおなじなんだ。ただ、覚悟できなかった分、それをちゃんと伝えてやれなかった……おまえの母親にさ。だから、今度は失敗しねえ。朱里オレなんかよりよっぽど強いよ。母親になってなおさら強くなったけど……なんにせよ、子育てはしんどいよ。生半可じゃできねえし、その点女は偉大だよ、こなしちまうんだから。そんでもって笑ったりしてくれたら、もっと幸せになれるんだよな。オレはな、今度生まれてくる子には、おまえの分も幸せにしてやりたいって思ってんだ。おまえはもう幸せだろう?今度はおまえ自身が幸せにしてやる立場になるんだからな」
「ああ、オレも頑張るよ……親父には色んなこと反面教師で教わったけどさ、悪くなかったって、今じゃ思える。まあ、真似はしないけど」
「なにを?クソガキが……」
オレたちの話を聞いて水嶋さんと日高はくすくすと笑っている。
「できたよ〜そっち持って行くから、誰か取りに来て」
デカイ声の主が日高の婚約者だったから、ヤツがさっと立ち上がって台所へ向かった。
「さて、今日は志奈子ちゃんの引っ越し祝いと、史仁の反省会だからね」
「朱理……それはないだろ?」
大きなお腹を揺らして、それでも相変わらず華やかな笑顔のままスパンと皮肉を言ってくれる。
「いいのよ、そしたら一緒に隆仁さんも反省するだろうから……あんたたち似すぎだもの」
この調子じゃ一晩中説教が続きそうだった。
「甲斐くん」
志奈子が台所へオレを呼んだので、いそいそとその場を抜け出して駆けつける。鍋の前では日高と正岡先生コンビが鍋奉行の主導権を取り合っている騒がしい声が聞こえる。
「なに?」
「あのね……ありがとう、全部そのままで」
「いや、帰ってきてほしかったし……ここは志奈子とオレの家だろ?」
こっくり頷く志奈子をそっと抱きしめる。向こうのヤツらに見つからないように……
「お帰り、志奈子」
「ただいま、甲斐くん」
ゆっくり、ゆっくり……そして長く永遠に、ここで幸せをふたりで紡いでいこう。
また今日から始まる。オレたちの新しい日々。
「あいつら早く帰んないかな」
「もう、せっかく来てくれてるのに?」
「だってさ……」

――――志奈子を抱きたいから。
そう囁くと、真っ赤になって、そのあと『わたしも』と答えてくれた。

オレたちはまだ、これから……はじまるんだ。
セフレではじまった関係でも、これからは恋人としてやり直して、夫婦になっていくんだ。そして子供ができたら家族になろう。オレたちがずっと欲しかった家族に……

END

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とりあえず、これで甲斐編も終了、ということで「せ・ふ・れ」も完結となりました。志奈子視点のその後もぽろぽろ書いておりますが、どうやら日高&正岡や朱里&甲斐パパのほうが早そうな気がしないでもないです。どんなその後のエピソードがいいかなぁ……

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