8.ダイエット開始!


 翌日から、決死のダイエット作戦を開始した。決死っていうのはちょっと大袈裟かもしれないけど、痩せられなかったら会社辞めるとまで言ったんだもの、そのぐらいのつもりでやらなきゃ意味が無い。だけど……早く痩せたい気持ちが抑え切れない。脳内では痩せて楽しそうに笑ってる自分が思い浮かぶもの。
『絶対に無理しちゃダメだよ。我慢しすぎると爆発して、結局失敗しちゃうから』
 イッコの言葉を思い出して、逸る心を抑え込んだ。そうそう、無理はダメ! とにかく美味しく食べながらダイエットを楽しまなきゃね。
 まずは忙しくても自分で作れそうなローカロリーのメニューを色々と考えてみた。
 昨日はなかなか寝つけそうになかったので、野菜スープを大量に作っておいた。コンソメは少しにして、ベーコンやら玉ねぎなど、冷蔵庫に残っていた野菜を色々入れたので結構ボリュームがあると思う。作りすぎた分は非常食用に冷凍して、朝はそれと常備しているヨーグルトにゆでたまごと野菜サラダ。それからお弁当用に塩麹をつけて焼いたとりの胸肉の切れ端をサンドイッチとカフェオレ。パンは6枚切れの半分ね。でも普通のパンだと歯ごたえがなくてあっという間に食べちゃったから、明日からはトーストサンドにしようと思う。そして残ったおかずは全部お弁当に詰めた。今までは菓子パンやファーストフードも多かったから、これならかなりの摂取カロリーが落とせると思うんだけど。
 色々準備しながらだと、朝は優雅にゆっくり食べてる暇もなくて、ちょっと大変だった。それから腹8分目っていうのはかなり辛いかな。だけど理想は6分目なんだって。そんなの絶対無理! って思うんだけど、たしかお腹が空くほうが老化防止にいいって話だ。どこかのお医者様は1日1食なんだって。さすがにいきなりそれは無理だけど、カロリー制限している方が老化が遅く長生きできるのは本当らしい。飢餓感がある方が生きようとする本能を呼び覚ましやすく、長寿遺伝子っていうのが増えるんだって。絶えず満腹でいると老化が早いって実験結果まで出てるらしい。ということはダイエットすることで老化防止にもなるってことだよね。要するに食べ過ぎると健康にも美容にも良くないってわけだ。
 つまり、低カロリーだからって食べ過ぎたら意味が無いってこと。量も加減しないとわたしの場合はいままでの暴食でかなり胃が拡張してしまってるから、胃も小さくしなきゃダメなのよね。そのためには一度に食べ過ぎないよう、よく噛んで満腹中枢に伝達することが大事なのだ。なのに、こんな早くに食べてたら全然ダメ! 頑張って噛まなきゃ! 噛む、噛む……うう、顎が疲れる。色々考えながら食べているとあっというまに時間がなくなってしまう。これじゃ早起きしてもウォーキングに行く余裕とか、なかなかできないかもだ……

 とりあえず作ったお弁当と、いきなり食事を減らして途中でお腹が空くと怖いので、そんな時用のダイエットビスケットやイッコおすすめの粉末青汁を溶いた水筒を用意して、出社準備OKだ。
「よし、歩くぞ!」
 あとはできるだけ歩く。時間があったら駅や会社までもひたすら歩いたり、ひと駅分早く下りたりとかならすぐに出来るかなと思って。エスカレーターやエレベーターもなるべく使わずに階段を使った。
「な、なに……この体力のなさ」
 今までより余分に歩いてみて初めて気づく自分の体力のなさ。それに歩き方や姿勢に気をつけてたら、普段どれだけ手を抜いて生活してたかっていうことを、あとで筋肉の痛みになって教えられる。そのうえ久しぶりに階段利用にしたら、なんて身体が重いの?? 会社の前に来るまでに、すっごく汗を掻いてた。今まで楽をしすぎてたのね……
 ようし、今度は会社の階段だ。うちは15階以上のフロアだから、そこまで上がるのが大変だけど……
「もう、甘やかさないんだから」
「何が甘やかさないんだ?」
「え? あ、チーフ……」
 後ろから階段を登って声をかけてきたのは楢澤チーフだった。
「歩くのはいいことだが、いきなり無理するなよ」
「は、はい」
 確かに、4,5階ならいいけどいきなりは無理だったかもしれない。脚はもうグラグラだ……だけどそれをこの人は、毎日エレベーターも使わずに上がってたの?
「無理そうだったら、途中からエレベーターを使えばいいんだ。徐々に階数を増やすほうがいいぞ」
 そういってポンと頭を叩いて先に階段を上がって行った。
「あ、ありがとうございます」
 そっか、毎日少しずつ増やせばいいんだ。もしかして、チーフってこういう運動とか詳しいのかな? 元水泳選手だけあって素敵な筋肉をしてそうだけど……
 わたしは、その日から少しずつ上の階を目指すようにした。5階から始まり3日めには8階で限界が来て、そこからはエレベーターを使った。
「おはよう、細井さん。あれ、どうして8階から?」
 ああ、本城さんだ! 今日は朝からすごくついてる。
「おはようございます。階段で上がってみようかなって頑張ってるんですけど……今日は8階でギブアップでした」
「そうなんだ、僕も最近運動不足だから、明日から歩いて登ってみようかな?」
「ほ、本城さんも? あの、」
 よかったら一緒に歩きませんか、と口に出して言おうとした瞬間、開いたエレベーターの向こうのガラス窓に映った不釣り合いなふたりの姿に、その言葉は引っ込んでしまった。
「ん? どうかした?」
「いえ、何でもないです……今日も仕事頑張りましょうね」
 にっこり笑ってそう言うと、急ぎ更衣室へ走りこんだ。
 ダメダメ、まだ一緒になんて口にするのはおこがましいよ。全然変わってないんだから……
 やっぱりゆっくりなんてやってられないよ、イッコ!


 だけどね、1日目で1kg痩せたみたいなのよね。朝計るようにしてるんだけど、翌日見事に!!そして2日目もまた1kg。す、すごくない?? この調子でと計算してしまう。だからもういっそのこと、3日目から炭水化物を全部抜いた。パン米麺類、一切だ。そうすると、どうしてもお腹の持ちがよくなくなるけど、その分納豆や蒟蒻を増やした。お昼は動くからそこそこ食べるってことで、ちょっとごちそうっぽくお弁当作りに力が入った。
「どしたの? 珍しいね。自分でお弁当??」
 外食が多かったわたしがここのところ珍しくマイ弁当箱を持って食堂に来たもんだから、同期の岡本さんたちに声をかけられた。
「うん、この間からね。一応……ダイエットしてるんだ」
 ちょっぴり声が小さくなってしまうけど、社内で言えるとしたら彼女と同じく同期の中野さんぐらいだ。部署は違えど、たまに飲んだり食べに行ったりする女子会仲間でもある。
「頑張るんだ? じゃあ、しばらくはご飯食べに行ったりするのはパス?」
「うん、でも少し痩せられたら、また行きたいなぁ」
「わかった、その時ね。あら、でもダイエットの割には美味しそうなお弁当じゃない」
 岡本さんがわたしのお弁当箱を覗いて言う。ポットに入れた野菜スープ、それからキャベツと卵のお好み焼き風に、ちりめんじゃこのオクラ和えに野菜サラダ山盛り。さすがに納豆は食堂じゃ食べられないから入れてないけど、あと小さなおにぎりは残しても大丈夫なように別の入れ物だ。量は凄いかもだけど、今まで食べてた惣菜パンやスパゲッティー、カツ丼カレーに比べればカロリーは少ないはずで、ご飯も最後に食べるけど、残せばかなり減らせるはずだ。ここのところ全部残してるぐらい。
「見た目よりカロリー少ないんだよ。あとね、ゆっくり噛んでしっかり食べなきゃダメなんだって。食べるの早過ぎるときは注意してね」
「わかった。じゃあ、わたしもやろうかな? 、もうちょっと痩せたいからね」
 必死で噛んで食べてるわたしを見て、彼女も真似を始めた。
 わたしに比べれば彼女は十分細いとは思うけど、それでも丸顔で頬がふっくらしてぽっちゃりに見えるほうだから、痩せたいって思うんだろうね。それに……確かカレシもいるって話だ。
 ちらりと彼女のお弁当箱を覗くと、豆粒ほどのお弁当。
「それで足りるの?」
「んー、元々そんなに食べない方なのよね。なのになんでって思うけど……ちょっと足りないなって分、3時のおやつとか食べちゃうからかも。うちの総務は女子が多いから、3時にはかならずお菓子が回ってくるのよ……その分差し引いてるって感じかな?」
「そっか、そういう苦労もあるのね。でも、そういうタイプの人は身体が省エネになってるんだって。だから動いて痩せるのが一番らしいよ? 基礎体温測って、36度台ないとよくないらしいけど、岡本さんはどう?」
「ちゃんと測ったことないけど、たぶん36度ないんじゃないかなぁ」
「それじゃちゃんと食事のバランス整えて、動いて筋肉つけて脂肪を燃やして体温上げたほうがいいって」
 これも全部イッコの受け売りだし、まだ痩せてないわたしが言ってもあまり真実味はないかもしれないけど、痩せたいって気持ちはホントにわかるもの。きっかけ次第だって、今回は痛感したしね。
「そ、そうなんだ……省エネか。確かに食べなくなった分、動かなくなっただけのような気がするわ」
 岡本さんは休みがちなジムにもう少し通うようにすると言っていた。わたしももう少し体重が落ち始めたらもっと運動しなきゃ。でもその前に、階段とか普通に上がれるようにならなきゃね。このままじゃおばあさんだよ。よく考えたら、わたしは普通の人が子供か重い荷物を背負って階段登ってるのと同じなんだよね。

 食事のカロリーを落としただけで、たったの3日で3kg落ちたのには驚いた。一度に痩せたらだめだってイッコは言ってたけど、もう嬉しくてしょうがなかった。
「よしよし、もっと、もっと、頑張るぞ!!」 
 ひたすら食事を落として、栄養剤も時々は飲んで、できるだけ動いて……なんと1ヶ月で5kgマイナス! きっと今までそれだけ分食べ過ぎてたってことだよね……制服のベストやスカートも随分余裕がでてきた。5kg落ちるだけでも随分身体が違ってくる。それでも前の制服が合わなくなった時の体重なので、そこまで戻っただけなんだよね。まだまだスマートと言われるほどの細さじゃなくて、学生時代よりも太ってる状態には変わりない。だけどすっごくうれしい! 痩せていく体重を毎日見てると、もう……楽しくて楽しくて!
 コータのところで合わない日は、イッコがよく電話で話を聞いてくれた。
「なんか本当に痩せそうな気がしてきたんだよね。そう思うと楽しくなってきたよ」
 目をつぶると未来のわたしが痩せて健康そうに笑ってるのが見える。
「そうだよ、なりたい自分を思い描いて地道にやるのがいいんだよ。楽しかったり胸が一杯だと成功しやすいからね。だから、食欲が出てくじけそうな時は好きな人や憧れの人の顔を思い浮かべるのもいいわよ。恋愛小説読んだり映画を観るのもいいし。イライラせずに、心が一杯になれば過食にならなくて済むから」
 恋愛モードの方が痩せやすいとは思うけど、確かに楽しく痩せる方がいいに決まってる。だから、こっそり恋愛モードに本城さんの癒しの笑顔を思い浮かべる。
『細井さん? あれ、本当に痩せたね。すごく綺麗になったね。見違えるようだよ。もしよかったら、いつも無理聞いてくれてるお礼に食事でもどうかな?』
 以前のように本城さんが社交辞令で誘ってくれたとしても、その時は絶対に恥ずかしがったりせずにOKするんだ! 一緒に食事に行っても恥ずかしくない量の食事になりつつあるし、もう少し痩せてせめて本城さんの隣に並んでもおかしくないくらいになれたら……
 だめだ……まだ当分無理だ。だって本城さんってすっごく細身なんだよ? たしか体重はそこらの女子より軽いんじゃなかった? って無理! まだ全然駄目じゃん!! 妄想の世界から引きずり降ろされる。まだ隣には並べない。食事に誘われても行けない。もっともっと痩せなきゃ!!

 そろそろ少ない食事にも慣れてきたからキツめの運動を増やそうと思っていた。ちょっと減り方がおちてきて、そのことが不安になった。
 これでもう止まっちゃうなんてことないよね?? 米や炭水化物もほぼ止めてるっていうのに。その分タンパク質を摂ってなんとかお腹大きくしている。少しでも多く食べると翌日戻ってたりするのが怖い。
「せっかく調子良かったのに?」
 バランスとか言われていたけど、もっと食事を減らして、サウナスーツのようなものを着込んで夜に歩いたりもした。すっごく汗が出て、のぼせそうになるけど、その分痩せられると思えば耐えられた。あと、前に流行った噂の軍隊式のエクササイズにも挑戦してみた。あれは随分ときつくて、筋肉が付きそうだったのでちょっとゆるめに長くやるようにした。
 ああ、今日もあの滋養強壮剤とか飲むの忘れたよ。飲まなくても痩せてるし、おなか空いた感じははあるけど、これだけ一度に痩せられるならまあいっかと、思いっきりカロリー落として、お肉とか食べるのもやめた。野菜中心、あとはたまに納豆。どうしても外食の時はサラダか蕎麦。夜は極力食べない。
 だってね、わたしが5kg痩せても何も変わらなかったから……
「これやっといてくれる? 急ぎなんだ」
「あ、俺もこれお願い」
「ちょっと、ぼーっとしてないでそこ早くどいてくださいよ!」
 皆川さんも2班の人たちも態度は全く変わらない。ちょっとは期待したんだけどね。『あれ?少し痩せた?』とかいう反応。でも、わたしの場合はたったの5kgじゃだめなんだ……

『1ヶ月で5kgも落ちたら、体力がもかなり落ちてるはずだから、今まで通りだと思って無理しないように気をつけてね』
 そうイッコに言われてたのに、油断した。体重の減り方が少しゆっくりになって、いくら運動しても痩せなくて、かなり無理してしまっていた。体力もかなり落ちてるみたいなのに……ああ、また朝お弁当作るのに必死で、あの滋養強壮剤とか飲んでなかった。やっぱりあれ飲まなきゃダメかな? でもちょっと臭いもあるし、苦手なんだよね。
「ああ、なっちゃった」
 今朝から忙しくて走り回ってばかりだった。それと生理も重なって体調は最悪。これだけは女なら避けて通れない。もともと出血量も多くって、血液検査でも血中コレステロール値はそんなに高くないのに、いつもヘモグロビン値が低いのよね。血圧も低いほうだから気を付けなきゃならなかった。生理痛も太ってしまってからはちょっと酷くなっていたし……
「今日はちょっとヤバイかな」
 一昨日から滋養強壮剤も切れてて、そしたらしんどいのなんのって……食事減らしてそのままじゃ、このハードな仕事は乗り切れないって事だったんだ。だから今まで食べてたんだね? いつもはイッコが買って来てくれるんだけど、職場の研修旅行で明日まで帰ってこないらしいから失敗した。前もって言っとくんだった。
 ああ、だけどさっきから目眩はするし、手足も冷たくなって、冷や汗まで止まらなくて……でもこの書類は3時までだって村井くんが言ってたし。これ、資料が居るかな? 取りに行かなきゃ……
「あ、」
 立ち上がるとそのとたん、天井が回って足元が崩れそうになる。目の前は真っ暗で……もしかしてこれって立ちくらみ? いくら太っててもずっと健康で、朝礼や体育祭でも倒れたりしたことなんかなかった。なのに……
「細井さん?」
「千夜子くん!」
 あ、本城さん帰ってたの? その声に重なるようにチーフの声が間近で聞こえた気がする。だって千夜子くんて呼ぶのはあの人だけだから。
 でもきっと空耳だわ。だってチーフの席は随分向こうだもの。そう考えながら、意識はしっかりと遠のいていった。

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