マスター編・2
 
 
「まさか、新しい住み込みメイドが野良猫とはな。」
 
親父が、おふくろの大切にしていたこの家を、業者に任せると言い出した時は驚いた。
この家は、ずっとおふくろ一人で大切に手入れして守って来たところだ。おふくろが入院してからは時々掃除専門の業者が来たりしていたけれど、ただ掃除してあるだけで、おふくろが居た頃のように家全体が生き生きとしてこなかった。そしてそのまま、この家に戻ることなく病院のベッドで息を引き取った。享年50歳、病気だと気が付くのが遅すぎるほど健康な人だと思っていた。だから悪性のガン細胞が見つかった頃にはもうすでに手遅れで進行も早かった。
入院中もこの家に帰りたがっていたけれども、戻って今のこの家の寂しい状態を見せて悲しませるわけには行かなかった。俺はすでに家を出てマンションに住んでいたし、おふくろが居なければ週末に帰ってくることもなかった。親父も病院の近くに泊まり込み、通えるだけ通って付き添っていた。兄貴も結婚して外に出ているから、業者の手が入っていても誰も生活していない家は覇気を失い、たまに戻っても薄どんよりとしているようだった。
 
住み手と主婦を失ったこの家を、前のように維持するには誰かの手が必要だと親父が言い出したのは49日も済んだ後だった。
何とかサービスってメイド派遣会社から一流のハウスメイドが来るって言ってたから、どんなおばちゃんが来るのかと思っていた。想像してたのはハイジに出てくるロッテンマイヤーみたいな女史だった。なぜその名前を知ってるのかというと、母校にそんなあだ名のオールドミスの教師が居たからだ。
 
最初にインターフォン越しに聞いた声は落ち着いていて上品で、これはひょっとしていい女かもと期待したのは男の希望だ。遊び相手もセックスの相手も困りはしていないが、家に帰った時も相手してくれる女性がいればそれに越したことはない。
まあ、若いメイドだったら向こうもまんざらでないだろうし、こっちもそんな目で見てしまうのはしょうがないだろう。メイドっていうのは何でもこっちの言うこと聞いてくれそうだという従順なイメージがあるしな。どっかのオタクが目の色変える喫茶店に居るメイドとさして代わりはないかも知れない。だが一応名前の通った派遣会社らしく、腕は超一流と言った触れ込みだった。
 
だが、現れたのは、あの野良猫だ。
 
そりゃ、もう10代の子供じゃないから、身体つきだってすっかり女らしくなってる。まあ、胸は相変わらずのようだったが、顔立ちは昔の面影を残して童顔だった。どう見ても人妻には見えないんだよな、旧姓名乗ってるし。
聞いた話では、高等部を卒業したあと、一年足らずで子供が出来て結婚したとか聞いていた。
なのに…なぜだ?
長岡物産も、彼女の父親でもある社長が病気で倒れたあと事業不振を続け、彼女の高校卒業後直ぐに倒産の危機に追い込まれた。宮之原財閥の企業の一角に吸収合併されたために、元居た社長重役はお払い箱になったが、借金に追い回されることだけは免れたはず。
「おまえ、結婚したんじゃなかったのか?卒業してすぐに…」
そう聞いたら、にっこりお愛想笑いを浮かべて『別れた』『バツイチ』だと答えた。
「子供も居たんじゃなかったのか?」
そう聞いた途端、アイツの身体がビクンと強張ったのが判った。そしてゆっくりと顔を歪めて微笑むそれは、見てるこっちが辛くなるような寂しい笑い顔。アイツには絶対に似合わないような、何かを押さえ込んだ、悲しみの微笑みだった。
 
そんな顔を以前見た記憶がある。
俺の母だ。
彼女は時々そんな目で俺を見ていた。俺が見てるのに気付くと、すぐさま満面の微笑みに変えて俺を抱きしめてくれたけれども、そのことが幼い頃からずっと引っかかっていたのだ。
そして、その原因は自分にあるのではないかと、薄々疑っていた。
だからといっても愛されてなかったわけじゃない。十分な愛情を注いでもらったと思う。
母は主婦としても、妻としても、そして親としても完璧な人だった。家族を愛し、父の建てたこの家を大切に守り、部屋中を飾り、庭に花や野菜を植え、温かい食事を作り、笑顔を絶やさなかった母。
その母が唯一あの表情を浮かべる瞬間を思い出して、もしかしたら、同じ顔をするコイツにも出来るかも知れない…そう思ったから、俺は聞いた。
「おまえはこの家をどう思う?」
そう聞いた途端、彼女の顔がぱぁっと明るくなった。昔よく見かけた野良の笑顔だった。
「凄く素敵です!亡くなられた奥様が、凄く丹誠込められてたんだなぁって、大事にしてあげなきゃ罰が当たりますよね?」
即答だった。
「そうか、なら、長岡でいい。」
俺はコイツを認めたんだ。
この家を頼むと、俺は言った。かしこまって礼をよこすコイツの態度が少しだけ気に障った。俺は昔どおり『野良』と呼んでいるのにやたら他人行儀だ。おまけに同級生だったことも忘れろだって?そうでなければ俺のことを様付けか『ぼっちゃま』なんて呼び方をすると脅してくる。
ったく、何てやつだ?そんなに俺と同級生っていうのが嫌だったというのか?まあ、俺には関係ない…。
この家を、もう一度母が居たころのようにしてくれればそれでいいんだ。顔を合わすのは今日ぐらいで、後はもう関わる事すらないだろう。
俺は野良を親父に引き合わせておこうと思った。こいつを見れば親父もきっと安心するに違いない。この家の生気がなくなり、一番気落ちしてるのは親父なんだから。ここに住むのだって、たぶん親父だけだし。
だから、今から親父の入院する病院に連れて行こうと、そう思い立った。
それなのに細々と動き出す野良。
なんなんだいったい?俺は待たされるのは嫌いなんだぞ!
だが、動き回る姿は昔の野良じゃなく、いっぱしのプロらしい無駄のないものだった。棚の中や冷蔵庫をさっとチェックしながらメモを取っている。
へえ…やっぱり台所に女が居るのはいいもんだな。
野良の姿が、エプロンをした母に重なって、『お食事の用意ができました』と振り返り呼ばれる幻を見た気がした。
なんか、似てる?
母の台所に立つ姿、高い戸棚に手を伸ばす時のしぐさ、そんなものまで重なって見える。
まさかな…
俺はありえない現象を追いやろうとしていた。母と、どこか似ているという錯覚。
自分の布団だとか、色々聞いてきたが俺はそれに適当に答えてしまった。野良に母を重ねてみたことに動揺していた。正面から見るとちっとも似てやしないのに。俺はまともに野良の顔が見れず、その場を離れ、とりあえず先に病院へ向かうことを選んだ。
 
 
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<注意>こちらはハウスメイド・メイド編の試し読み版です。
8話まで読めますがそれ以降は電脳アルファポリスで有料になることをご了承下さい。
久石ケイ