メイド編・4
 
 
「おい、倒れたって大丈夫なのか?」
 
 がちゃりとドアが開けられ、これまた凄い迫力の男性が入ってきた。
 目の前の旦那様と比べると一回り体つきもガッチリとしており、パワー溢れたおじさまって感じ。
 誰かとよく似たこの雰囲気……そう、無口だけれども、醸し出す人に有無を言わさない雰囲気はヤツと、政弥と似てるんだわ。
「伯父貴……」
 伯父ってことは、じゃあこの人が藤沢建設の社長さんなのかしら。
「まったく、自宅で倒れるなんて、おまえは美津子が亡くなってから無理しすぎなんだよ」
「兄さん、心配かけてすみません。電話でも話しましたが、しばらくは検査入院だそうで、その間のことは雄弥に頼んでいますので、わたしの代行はあいつにお願いしますよ」
「わかった。ん?そちらのお嬢さんは、政弥の彼女かね?」
「あら、そうなの?政弥さんったら、隅に置けないわね」
 後ろにいた、藤沢社長の妻か秘書らしい女性も、まるでわたしを値踏みするかのように見つめてくる。先ほどの澄華さんのは遠慮がちだったけれども、今度のは堂々と、思いっきり見下された感じで、ちょっとだけむっとくる。
 それでもあの学園に長くいたので、親の財力や容姿で優先順位をつける視線には慣れてるから我慢は出来るけどね。だって、あの学園の基準ってそんなものだったんだもの。
「違いますよ。今度うちにくることになった、新しいハウスメイドさんです。富美香さんに教えてもらった<ヴィクトリアサービス>にお願いして来てもらったんです。美津子の愛したあの家を任せるのだから本当ならわたしが今日お会いするはずだったのですが、急に倒れてしまったものだから、政弥に頼んでいたら此処に連れて来てくれたんですよ。そうそう、先ほど雄弥と澄華が来ていたんですが、兄さん会いましたか?」
「ああ、玄関で会ったよ。ああ、電話だ」
 藤沢社長は胸ポケットで震えていた携帯を取り出すと、部屋の外に出て行った。個室だけれども、病院は携帯不可なんですけれどもね。わたしはちゃんと電源切ってますよ。それに入れたところで病院内でも使用しているというPHSだから電磁波も微弱で害は少ない。
「すまない、会社から呼び出しだ。せっかく富美香と食事に行こうと思って予約していたのにな」
 戻ってきた社長はちっともすまなそうな顔をせずに言った。
 随分兄弟でも性格が違うみたいね。
「まあ、あなた……残念だわ」
 富美香と呼ばれた女性は、その手を藤沢社長の腕にそっと重ねて艶のあるしなを作って残念そうな微笑みを添えていた。
 なかなかの媚態ね。女が嫌い、男を夢中にさせるタイプの女性。藤沢社長もいい趣味してらっしゃるのね。いかにも愛人上がりって言うのが目に見えるんだけど、そんな分析は顔にも出さずにひたすら部屋の壁際、入り口の所で控える。家庭事情を観察はしても、口にも顔にも出さないのが鉄則。
「ああ、そうするとおまえのが帰る車がなくなってしまうな。どうだ、政弥、悪いが富美香を送ってやってくれないか?なんなら予約した店もおまえ達で行くといい」
「いいですよ」
「じゃあ、頼んだぞ。雄政、せっかくだから養生しろよ」
「ああ、ありがとう、兄さん」
 
 圧倒的な風は去った。
 すごいね、さすが藤沢建設をこのバブルの弾けた後も維持し、黒字経営をたたき上げるだけの手腕の持ち主だわ。そのパワーといい、男っぷりといい、凄い迫力。それにこの奥さんの若さ……さっきの澄華さんとの年齢差を考えても、まずは母親ではないなと判るもの。公然としているところから見ると、二号さんでもなく、後妻さんってところかな?
「じゃあ、俺は富美香さん送ってくるよ。おまえはどうする?」
「え?わたしですか?」
 おまえが自分を指していることにしばらく気がつかずに居たために、またもやヤツに睨まれた。
 まあ、ここまでは乗せてきてもらってるから、当然帰りも乗せて帰ってもらうつもりで居たんだけれども、視線が……邪魔するなっいってるわね。
それに、さっきから妙に富美香さんの視線が引っかかるのよね。
「わたしは、もう少し旦那様にお聞きしたいこともありますし、電車で帰ります。どうぞお気になさらずに、政弥様」
 思いっきり丁寧に、営業用スマイルまで添えて頭を下げてやった。
「そうか……じゃあな、親父」
「ああ、しばらくは家のこと、頼むぞ。茉悠子さんが慣れるまでおまえも家の方に顔を出してやってくれ」
「判ったよ。食事して、終わった後家に一旦戻るから。それじゃ富美香さん、送ります」
 わたしは急ぎドアの外までお送りする。今までの来客は入れ替わり立ち替わりだったので、すっかり忘れていたのだけれども、お見送り出迎えもメイドの仕事だから。
 なんて言っていいのか当てはまる言葉がなかったので、無言で頭を下げて見送った。
 頭を上げる瞬間、ヤツの手が親しげに富美香さんの腰に回ったのをみて、ああ、と納得した。
 
 それは、危ないんじゃないの?藤沢政弥。
 
 伯父の後妻と……って、バレたら洒落にならないわよ?
 学生時代のご乱行を耳にしてる分、呆れたため息をついてわたしは病室に戻った。
 
 
 
「すまないな、茉悠子さん」
「いいえ」
 どのことに対してのすまないなのか、判りかねたけれどもにっこりと笑って側にあった椅子に腰掛けた。
 付き添いの人は、来客がある間は外せと言われたらしく、呼ぶまで戻ってこないそうだ。
「よろしかったら、奥様のお話を聞かせ頂いてよろしいですか?旦那様がお辛くなかったら、ですが……」
「妻の話を、ですか?」
「はい、お屋敷をお預かりする前にお聞きしたかったんです。政弥様は、あまり余分なことを話さない方ですが、それでもお母様やあの屋敷に対する思いはお有りになったようです。それならば、旦那様にはもっとたくさん想い出がございますでしょう?それをお聞きしながらあのお屋敷をお手入れ出来たらいいなと、そう思ったものですから。あの、差し出がましいと思われたらお断りになって下さい。その、ちゃんと無口なメイドとしてきっちり努めて行きますから」
 そうなの、あたしっておしゃべりが過ぎるから……義母ともすぐに馴染んだのはそれで、楽しいお話、誰だってしたいじゃない?
 うちは……母が早くに亡くなって、父も忙しい間は一人っきりだった。食事を作ってくれる人も雇ってはくれたけど、高等部に入るとだんだん雇えなくなって、お嬢様のかっこしながらコンビニ弁当とか食べたわ。誰もわたしに家事を教えてくれなかったけど、必死でご飯炊きや洗濯ぐらいは覚えた。後は慣れね。きっっちりした家事は義母が仕込んでくれたけど、お話しながらの家事は本当に楽しかったから。
「茉悠子さん、あなたは……」
 旦那様がじっとわたしの方を見ていらっしゃった。そしてわたしの手を取られた。
「よかった、こんなにも希望通りの方が来てくれるなんて……美津子のあの家を任せられそうな気がするよ」
「旦那様……」
「あの家はね、美津子が唯一欲しいとせがんだ家なんだ。前はね、広い藤沢の本宅に一緒に住んでいたんだけれども、兄夫婦やわたしの両親とも一緒だったから気疲れしたんだろうね。政弥を身籠もったあたりから随分と身体を弱らせてね。『小さくても、自分の手で飾れる家が欲しい』って。設計図もわたしが自ら引いて、建築材料も吟味して、彼女に喜んでもらおうと必死で建てたんだよ。そりゃ喜んでくれて、庭に花や木々を植えて、想い出の品を飾り、運動になるといって床のワックスがけをしたり、出掛けるよりも家で過ごすのが当たり前になるほど、みんなが一緒の家だった。雄弥が結婚して、政弥まで家を出てしまった後、寂しくともふたりで新婚に戻ったみたいだと、そう言い合ってたのに……」
 癌で亡くなられたと聞いている。まだお若いはずなのに……。
「旦那様……あのお屋敷は奥様と旦那様のものですわ。早くお身体をよくして戻ってきてくださいませ。その時はお仕事もセーブなさってくださいね。玄関まで歩いたときに、奥様がお植えになったハーブを見つけましたから、お天気のいい日には、テラスでハーブティを入れて飲まれませんか?それともハーブの入ったクッキーでも焼きましょうか?早く帰ってこられないと、今咲き時の紫陽花が終わってしまいますよ。ああ、そうだ、いくつかお切りして明日にでもこちらに持って参りましょうか?」
「紫陽花か……美津子も好きだった花だ。持って来て、くれるのかね?」
「はい、わたしは藤沢家のハウスメイドですよ?旦那様がご希望されるよう取りはからいますので、何でもお申し付け下さい」
「茉悠子さん……ありがとう。早く帰りたくなったよ、あの家に……そうだな、あの家で暮らした想い出こそが、真実なのだよね」
「旦那様?」
 最初に見せた少しだけお辛そうな表情をおみせになって、目を閉じられた。
「もう外が暗いから、早くお帰りなさい。電車だと乗り継ぎがうまくいかなければ2時間ほどかかってしまうからね、あの家は」
「そうなんですか?車じゃないと随分遠いんですね。けれどもあのくらい郊外だと空気もいいですし、静かですよね」
「出来るだけ郊外がいいと、美津子の望みだったんだよ……」
 窓の外に目をやるとまた大きなため息を漏らされた。
「あの、それでは、わたしはこれで失礼致します。こちらにわたしの名刺を置いて参ります。ご用があればこちらに電話頂けると早いかと思います」
 そういって裁ち上がると、携帯とアドレスを記した紙をサイドボードに置いた。
「君の携帯かね?」
「はい、お屋敷の方でも構いませんが、外の作業などしていると、どうしても電話に出にくかったりしますので、こちらにして頂けると助かります」
 家の電話は外からの電話と言うことで、録音機能などをフルに使わせて頂くようにしている。伝え漏れや連絡ミスがあってはいけないからだ。だが雇い主からの直接の用件なら、こちらにしてもらった方が早くすむ。
「ありがとう、よろしく頼むよ」
 
 わたしはドアの所で頭を下げると、外で待っていた女性に声をかける。
「お待たせ致しました。付添婦の方ですね?わたしは今日からお屋敷でお仕事させて頂きます、ヴィクトリアサービスの長岡です」
 まあ、っと、その女性は驚いた。同業者ならヴィクトリアの名前を知っているのだろう。
「付添婦の庄司君枝です。本多家政婦協会から派遣されています」
「もし旦那様にご入り用なものとか、屋敷の方に連絡とかありましたら、どうぞこちらの番号もお使い下さい」
 同じ携帯番号の載った名刺を渡す。
「かしこまりました。わたしは泊まり込みの契約ではないですので、こちらの部屋に電話頂くのが早いかと思います」
「ありがとうございます。それではまた明日にでも顔を出させて頂きますね」
深々とお辞儀をする。
「あ、庄司さん甘いものはお好きですか?」
 突然の問いかけに中年女性は驚いてはいたけれども、にっこり笑って頷いた。
「明日何か差し入れ持ってきますね、それでは失礼いたします」
 今度こそ踵を返して病院を出る。外はいつの間にか雨が降り出していた。
 
 2時間か……きついな、雨降ってるけどしかたないか。
 諦めて駅へと向かう。もちろん、徒歩で。メイドは身体が資本、タクシーなんて贅沢は出来ないのだ。
 
 
 
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<注意>こちらはハウスメイド・メイド編の試し読み版です。
8話まで読めますがそれ以降は電脳アルファポリスで有料になることをご了承下さい
久石ケイ